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岡田有希子が自殺に踏み切った原因は?所属事務所の対応はどうだったの?


1980年代に大活躍していた岡田有希子は、ポスト松田聖子と言われるほど周囲からの期待や注目の高い人気絶頂のアイドルでした。
第2の松田聖子とも言われていた伝説の昭和時代のアイドルが突然、事務所の屋上から投身自殺をしたことを忘れられないファンも今でも多くいることでしょう。
1984年から1986年までの2年間をサンミュージックに所属し、多くのファンにも見守られていた岡田有希子を自殺に追い詰めた原因について探ってみます。

 

人気絶頂のアイドル歌手


写真:pinky

岡田有希子はユッコの愛称で親しまれ、1967年8月22日に愛知県一宮市でふたり姉妹の次女として生まれ、1969年に名古屋市熱田区に引越して、上京するまでの間を過ごしていました。

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写真:大阪YMCAウエルネス

幼稚園時代には姉が通うYMCAの体育教室で器械体操やキャンプ、スキーなどに挑戦しお転婆になるも運動神経のなさを自覚したようです。

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写真:YouTube

小学校時代には、体育教室を辞めて水彩画を習い、当時の将来の夢は「画家、漫画家、小説家」と言っていて、中でも画家に興味がありました。

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写真:Whotwi


写真:WhotwiWhotwi

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中学生時代には、水彩画のほかに油絵や日本画も習い、ファンであった河合奈保子の油絵の肖像画は校内の展覧会で金賞を獲得する腕前でした。
絵画のほかにも、合唱部に入り地元のテレビやラジオ番組にも出演し、小学校6年生の学芸会の音楽劇の役づくりに没頭したことがきっかけで、

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中学生になってからは「ホリプロタレントスカウトキャラバン」などに応募しています。


写真:YouTube

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スター誕生の名古屋地区予選を通過し、反対だのさまざまな困難な条件をクリアし決戦大会に出場し、合格の連絡を受けることになります。


写真:Dailymotion

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1983年にデビュー曲の制作を依頼した竹内まりや自身もコーラスに加わるレコーディングを行ない、


写真:はじめたろうのひとりごと

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1984年の4月にシングル「ファースト・デイト」で歌手デビューを果たし、


写真:Twitter

「日本レコード大賞」最優秀新人賞などを受賞しています。

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写真:Twitter

歌手活動のほかにも連続テレビドラマ「禁じられたマリコ」に出演するなどと活動の幅を広げ、全国コンサートが始まった3日後の1986年4月8日に命を絶ちました。

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岡田有希子に何が起きていたのか


写真:Yahoo!ブログ

歌手デビューしてわずか2年の間に、人気絶頂のアイドル歌手に昇り詰めた岡田有希子は自殺を選んでいまいました。
寝る時間もないほど、ハードスケジュールで精神的や肉体的に辛かったこと以外に相当な心のダメージがあったとしか思えません。

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1986年4月8日に投身自殺を図る前には、自宅マンション内でリストカットをしたうえ、ガス自殺未遂を起こしています。
その後に自分の意思で専務や付き人のいる三ミュージックの事務所に戻り、専務が社長と電話している隙に屋上に向かったようです。
そのまま屋上から身を投げて全身強打による即死、18歳という若さでこの世を去ることになりました。

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未遂の際に、どうしてリストカットしたのかと聞いても「わからない」の一言だったようですが、投身自殺後に自宅で鉛筆書きの遺書といえるノートが見つかっています。


写真:xn--x9j8c3e8g.com

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その遺書には、「男優の峰岸徹さんにふられた。憧れていたのに、最近冷たくされて悲しい。勝手なことしてごめんなさい。」などと書かれていたと報道されています。
実際の遺書は公開されてなく、サンミュージックの金庫に保管されているようですが、そのノートには家族にも知らせてないことや交際相手の名前が書かれていると言われています。

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写真:So-net

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峰岸徹とは1985年のドラマ「禁じられたマリコ」で共演しており、岡田有希子が恋心を抱いていたようですが、峰岸徹本人は、「兄貴のつもりでいた」とコメントしています。


写真:芸トピ

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思いを寄せていたひとりとして前年に松田聖子と結婚した神田正輝の名前があがっていますが、真相は定かではありません。

 

まとめ


写真:Naverまとめ

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ポスト松田聖子と言われ、数多くの男性ファンを持つ人気絶大だった絶頂期に死を選んでしまった岡田有希子は、18歳というあまりにも若すぎる年齢です。
肉体的な疲労は、睡眠や休息でどうにか復帰できますが、自ら命を絶つこと選択したことには、かなりの精神的なストレスが原因だったと言えます。
思いを寄せてる人とのすれ違いなどによるものと予測されていますが、すべての真相はサンミュージック事務所に保存されているノートだけが知っているということです。
世を去ってから30年以上経つ現在でも、岡田有希子を偲ぶファンがまだまだ大勢いることでしょう。point 261 | 1

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