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石原裕次郎の愛人の相手は○○?子供がいない理由と梅毒


かつて日本が高度成長期に湧いていた1950年~1960年代頃、テレビは一般家庭に普及していませんでしたから、人々の娯楽といえば映画が主流でした。当時は、3本立てで上映されるのが一般的で、1人の俳優の主演映画が年間10本公開されることも少なくありませんでした。その中でも石原裕次郎は、特別なオーラを持った日活の看板俳優として、まさに日本映画界を代表するスターでした。


写真:asagei.com

石原裕次郎について

石原裕次郎がデビューしたのは1956年5月、兄である石原慎太郎の芥川賞受賞作「太陽の季節」が映画化するにあたって脇役として出演しています。その2か月後には、同じく兄、石原慎太郎原作の「狂った果実」で主演デビューを果たします。

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写真:blog.livedoor.jp

この作品では、後に妻となる北原三枝が出演しており、ファンの間では代表作として推す人も少なくありません。

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石原裕次郎の愛人

そんな石原裕次郎に、ある大物歌手が愛人であったとの噂が出回っています。


写真:middle-edge.jp

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日活時代の俳優は、主演クラスだと今のお金に換算して1本当たり数千万が相場でしたから、年間10本としても数億円の収入が入っていたことになります、さらに石原裕次郎は歌唱印税も入っていましたから、相当な金額を稼いでいたと思われますので、女優や銀座に愛人は何人もいたと思いますが、それとは比較にならないくらいの大物歌手です。

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写真:seikomatsuda.co.jp

実はネットを騒がせているのは、松田聖子が石原裕次郎の愛人だったという話です。確かに、石原裕次郎と松田聖子は歌番組などで共演し、濃厚なデュエットを披露しています。当時、トップアイドルの松田聖子に石原裕次郎が心を動かされたとしても不思議ではありませんが、松田聖子は石原軍団の神田正輝の元妻であり、仲人は石原夫妻が引き受けています。

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写真:i-article01.com

さらに驚くことに、神田沙也加の父親は石原裕次郎だという説まで飛び交っています。

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石原裕次郎を苦しめた病気?

一方で、石原裕次郎を苦しめた解離性大動脈瘤とは、動脈の壁が弾力を失うことで、動脈が内圧のために膨れ上がってしまう病気ですが、その原因は動脈硬化や梅毒によるものが多いとされていることから、そのことが原因で子供が長年できなかったのではないかとの噂も飛び交っています。

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写真:cinema.ne.jp

もし、このことが本当であれば、神田沙也加の父親が石原裕次郎だという説は矛盾することになりますし、いくらなんでも愛人の仲人を妻である北原三枝が許すとは思えません。したがって、松田聖子愛人説も梅毒説も都市伝説の一つと考えるのが妥当かもしれません。

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写真:matome.naver.jp

しかしながら、愛人とまではいかなくとも、昭和の大スター石原裕次郎と昭和のトップアイドルであった松田聖子に、ロマンスがあったとしたら、少し不謹慎かもしれませんが、それはそれで夢のある話しかもしれません。そのくらい、石原裕次郎は偉大な存在であり、もう二度と現れない本当のトップスターなのです。

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