本当にあった赤ちゃん取り間違え
順天堂大学の附属病院で51年前、赤ちゃんが取り違えられた可能性が高いことが発覚した問題が話題になっています。
実の子を取り違えられた母親が初めてカメラの前の取材に応じました。
母親は、順天堂に対し「真実を教えてほしい」と訴えています。
また、取り違えられた当人である小林義之さん(51)=仮名 も週刊新潮で、これまでの事を明かしています。
私とあなたは血がつながっていないかもしれない
「母に“話しておかなきゃいけないことがある”と言われたのは、15年11月です。母の姉がいる介護施設でのことで、自分もいつ姉のようになるかわからないと思って、切り出したんじゃないですかね。“私とあなたは血がつながっていないかもしれない”“薄々感じていたでしょ”って。あまり驚きませんでした。私は“やっぱりね”と答えたくらいですから」
義之さんは、すぐにDNA検査を受けました。
結果はクリスマスイヴの晩、電話で伝えられました。
親子である確率は“0%。
「やっぱりな、と思いましたが、すぐに“なんでこんなことが”“許せない”という気持ちがこみ上げてきました。これまでの人生でのいろんな違和感が一気につながって、放心状態になりましたね」
取り間違えの悲劇
「私が生まれたのは1967年1月半ば。母に聞くと、初めて取り違えを疑ったのは、私が小学校に入るときだそうです。当時は小学校に入学するとき血液検査を受けたんですが、うちの両親は2人とも血液型がBなのに私はA。生まれるはずがない。母は出産した順天堂医院に何度も行って“取り違えがあったんじゃないか”と相談したのに、“だったら訴えろ”と、無下に追い返されたといいます」
順天堂は「うちは間違いはないので、あなたの浮気ではないですか?」と母親に言い放ったこともあったそうです。
「直後、会社を営んでいた父が家からいなくなりました。私が生まれるはずのない血液型なので、父は母の不倫を疑い、離婚になったと聞きました。以後、母は精神病院への入退院を繰り返し、その間、私は祖父母や親戚の家に預けられっ放しになったんですが、小学3年のとき母が再婚しましてね。やっと普通に暮らせるかと思ったら、新しい父から毎日つらく当たられた。弟にはやさしいのに、なんで私にはこんなに厳しいのか解せなくて、何度も自殺を考えました。いまにして思えば、私は不倫の子。母親の人生が滅茶苦茶になった原因だと思えば、私が憎く思えたのでしょう」
継父から義之さんに対し虐げられる日々は、その後も続いたといいます。
「小学生のときサッカークラブに入っていたら、継父に“金がかかるから”とやめさせられました。貧しくて、中学に入ると生活費を稼ぐために朝日新聞の配達もしましたよ。高校受験では都立高校に合格したのに、継父から“うちには学費を出す余裕がない”と言われ、行けなかった。仕方なく実家近くに家賃1万8000円のアパートを借りて、食品工場に就職しました。母が時々きてご飯を作ってくれましたが苦しかった。それからしばらく職を転々としてから定時制高校に入り、ラーメン屋や鉄工所で働きながら卒業しました」
その後、義之さんは小さな会社を自身で営みました。
そして20代の時に結婚するのですが、そのころから親子関係の違和感が強まったといいます。
「母と離婚した父に結婚を報告しようとしたら、“会いたくない”と拒まれて疑問を感じてね。同じころ祖母から“あんたはこんな苦労する必要なかったのに”、親戚からは“(両親は)あなたの血液検査が原因で離婚したんだよ”と言われて、どんどん疑問がふくらみました。考えてみれば、私は顔も性格も母に全然似ていない。母に“本当に俺はおかあさんの子?”と聞いてみましたが、“橋の下で拾ってきたのよ”とはぐらかされましてね」
順天堂”金銭で解決したい”
2016年1月13日。
DNA検査の結果が知らされた義之さんは、順天堂に出向いて「取り違えられたみたいなんですけど」と伝えたといいます。
その後、3月3日。病院側との話し合いがもたれました。
「小さな会議室で“どうやら事実のようです”と告げられました。病院側の出席者は4人。私は“本当の親に会わせてほしい”と訴えましたが、病院側は“それはできない”。院内でも意見は割れたようで、看護部長さんら女性スタッフの間では“公表して引き合わせるべきだ”という意見が多かったそうですが、多数決で公表しないことに決まったというんです」
順天堂は、義之さんの想いを無視し、その方針を崩そうとはしませんでした。
「取り違えの相手方は平穏に暮らしているかもしれず、その家庭を壊してはいけない、というんですが、おかしいと思う。事実が判明した以上、公表して相手に伝えるのが義務でしょう。それに見た目も性格も違う家族のなかに一人置かれたら、平穏に暮らせないというのが私の実感です。病院の説明では、私が生まれた日に院内にいた新生児は24名。その日に生まれたのは私と、15分違いで生まれた男の子の2人だそうです。だから相手は半ば特定されているのに、順天堂はきれいごとを言って事実を隠ぺいしたんです。4月12日に行われた2回目の話し合いでは、順天堂の顧問弁護士から“金銭で解決したい”と、はっきり告げられました」
話し合いはその後、数カ月にわたって重ねられ、2016年12月、不本意ながらも話がまとまりました。
ところが年明けに順天堂側の弁護士が代わり、積み重ねてきた話をひっくり返しました。
義之さんは怒りがこみ上げましたが、長い話し合いで疲弊し、母親の“もういい”と言う声に、押し切られる形でサインしました。
真実は?本当の家族は?
「本当の親が知りたい。それだけなんです。知る怖さはあるけど、知らないでいるほうが幸せだなんてことは絶対にない。近所の親子連れを見ても、親子が出てくるドラマを見ても“俺の本当の両親はだれなんだ”と考えてしまいます。50歳をすぎて本当の親を知っても、いまさら人生は変わらないでしょう。それでも知りたい。仮に私が生まれたとき30歳だったら、もう80歳。時間がないけど、ギリギリ間に合うかもしれない。母だって本当の子供に会いたいはずです。私は最後の親孝行に、母の本当の息子も探したいんです」
義之さんはこう語ります。
また、母親は
「義之の血液型を知って順天堂にかけ合っても、“そんなはずない”と無下に扱われてね。その後も3回くらい行って、私も主人も血液検査を受け、義之の血液と合わないと告げられはしたんです。なのに“それなら弁護士を入れて訴えてください”と言われ、豊かじゃないから裁判なんて無理で、主人からは“浮気の子供”と散々言われて、離婚しちゃってね。私は雨戸を閉めて家に籠ってしまって。いま一番許せないのは病院です。私と義之の人生をなんだと思っているのかって。悔しさとか怒りを通り越して、むなしいです」
と語っています。
お二人の本当の家族は今。どのような暮らしをしているのでしょうか。