X
    Categories: ISSUE

宮崎勤事件の真相!現在の末路まで総まとめ


「連続幼女誘拐殺人事件」として有名な1988年ごろ日本を恐怖に震わせた宮崎勤死刑囚が起こした凶悪連続殺人事件についての当時の様子や現在の末路などをまとめていきます。

 

「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」


写真:フジテレビ

昭和の終わりから平成の始まり頃にかけて日本中で話題になった「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」は、元死刑囚の宮崎勤が起こした殺人事件で、暴行し殺害した少女の遺骨を遺族の自宅へ送りつけたり、新聞社に対して犯行声明を送りつけるなど、普通では考えられないような犯行に及んでいます。四人の被害者は全員子どもであったため、この事件をきっかけに”ロリコン=犯罪者予備軍”というような認識が高まったそうです。宮崎元死刑囚の犯行方法は、「涼しいところへ行こう」などと少女に声をかけ、その後暴行し殺害するというものでした。さらに衝撃的なのは、死後硬直をしている遺体に乱暴する様子を動画におさめていたと言います。point 376 | 1

ADVERTISEMENT

 

宮崎元死刑囚の生い立ち


写真:Naverまとめ

凶悪な殺人事件を起こした宮崎元死刑囚ですが、彼の生い立ちなども詳しく報道されています。まず、宮崎元死刑囚の幼少時代については、かなり裕福な家庭で育ったと言われています。父親は東京都西多摩郡五日市町で新聞会社を経営、母親も働いており、知的障害を持つ当時30歳くらいの男性を子守として住み込みで雇うなど、想像しただけでも裕福であったことがわかります。宮崎元死刑囚の面倒はこの30代の男性と祖父が見ていたようで、逮捕後の取り調べでは、犯行について「犯行は死んだ祖父を復活させるための儀式」と語っていたと言います。point 331 | 1

ADVERTISEMENT

 

学業


写真:Naverまとめ

そんな裕福な家庭で育った宮崎元死刑囚は、学業面でも優れていたそうです。小学生のころは、「怪獣博士」と呼ばれ、アニメなどに出てくる怪獣に詳しかったと言います。英語や算数もかなり得意で、成績優秀な生徒であったことがわかります。中学時代は部活にも励み、そこでは異常な負けず嫌いさを見せていたと言います。しかしクラスでの存在感はあまりなかったらしく、静かな生徒であったようですね。

ADVERTISEMENT

 

社会性の欠陥


写真:Naverまとめ

両親からの保護下にあった学生時代が終わり、社会人としての生活が始まってから、宮崎元死刑囚の社会性の無さが浮き出て来ます。短大卒業後、おじの紹介で印刷会社に就職して印刷オペレーターとして働き始めました。しかしその会社では、態度がかなり悪かったらしく同僚からも評判が悪かったと言います。結局その会社を退社し、その後は実家で引きこもりの生活が続いたそうです。それからはアニメ好きということから、趣味を生かして仕事を始めますが、趣味仲間の間でも宮崎元死刑囚の評判はかなり悪く、疎外されていたようです。そんな時に最愛の祖父が他界し、1回目の犯行に及んでいます。point 348 | 1

ADVERTISEMENT

 

まとめ


写真:タブログ

昭和から平成にかけて日本中を恐怖の渦に陥れた宮崎勤元死刑囚。死刑実行前も、遺家族に対する反省などは全くなく、観かけの映画の心配をしていたようです。このような事件が二度と起こらないことを願うばかりです。

ADVERTISEMENT