ジャニーズ事務所の芸能界支配の原型にあるのが創業者のジャニー喜多川氏による『少年の所有』です。男性アイドル市場におけるジャニーズ事務所のシェアが独占といってもよいほどに高いのは、少年に対するジャニー氏の所有欲の強さを表しています。あるルポライターは「ジャニーズ、英語で書けばJohnny’sである。Johnnyは人名で、’sは<所有>を意味する」と述べたことがあるほどです。
退所後の過酷な運命
ジャニーズを辞めたタレントには過酷な運命が待ち受けていると言われています。有名なのが、かつては一世風靡したこともある田原俊彦さんのケースです。
1994年2月17日、田原さんは長女の出産報告会見を行い、会見の最後、「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕ぐらいBIGになっちゃうと、そうはいきませんてのがね、よく分かりました」と締めくくったのです。これに対し、マスコミは「思い上がるな!」という非難の大合唱を浴びせました。
80年代を代表するアイドルとして活躍した田原さんでしたが、この「BIG発言」の頃には、人気に陰りが見えていました。さらに発言が猛烈に叩かれたために田原さんのイメージは極端に悪化してしまいました。田原さんの芸能活動は長期間にわたり低迷してしまったのです。
しかし、「BIG発言」は田原さんの人気低迷のきっかけに過ぎません。実は、田原さんは「BIG発言」直後の94年3月1日に、18年所属したジャニーズ事務所を独立していたのです。独立の背景には、ジャニーズとの確執があったといわれています。独立の前年の93年にはそれまで毎年行われていた田原さんのコンサートツアーが中止され、同年10月に夫人と入籍した際は事務所からの発表はなく、長女出産の会見でも事務所関係者は姿を見せなかったのです。
「BIG発言」に対するマスコミの過酷なバッシングには、ジャニーズ事務所という後ろ盾がなくなった田原さんに対する“溺れる犬はい石もて打て”という意識が強く働いていたことは想像に難くないでしょう。
田原さんは独立後の仕事のやりにくさについて「ジャニーズ帝国というのは、外に出ていく人間に対しては絶対的にNOなんですよ」と語っています。テレビ局の『自主規制』は長らく続き、田原さんはジャニーズの見えない手に悩まされました。しかし、2013年8月のイベントではジャニーズ事務所のメリー喜多川副社長からの手紙が届いたのです。手紙には、直筆で「(ジャニーズの)若い子たちが、トシの歌を歌っています。よかったら、今度観にきてください」と書かれていたそうです。
ジャニーズ帝国
この手紙が届いた時、田原さんがジャニーズから独立して、19年が経っていたそうです。ジャニーズであってもそうでなくても、田原さんのBIG発言はバッシング対象になったことでしょう。しかし、ジャニー喜多川社長が築いたジャニーズという大きな帝国から去るという事はかなり大きなリスクを伴うのかもしれません。