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日本を震撼させた酒鬼薔薇事件の過去、そして現在


写真:lishiquwen.com

酒鬼薔薇と聞いて、背筋が寒くなる思いをする人は多いことでしょう。1997年、2人の小学生が猟奇的な手段で殺害された事件の犯人は、「酒鬼薔聖斗」を名乗る当時14歳の少年「A」でした。あれから20年、すでに社会復帰しているAは現在どうしているのでしょうか。事件の概要を振り返りながら検証します。

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写真:xingzuomm.com

◼︎酒鬼薔事件と少年A

神戸市須磨区内の中学校正門に、切断された11歳の男子児童の頭部がさらされたのは、1997年5月25日でした。児童の顔は耳元まで切り裂かれ、口には「酒鬼薔薇」を名乗る人物の犯行声明がはさみこまれていました。あまりにも残忍な殺害手法と、「さあ、ゲームの始まりです」などという挑発的な声明文章…。約1カ月後に逮捕された犯人が現場の近くに住む中学3年の少年だったことで、社会全体に衝撃が走ります。さらに2カ月ほど前には、10歳の女子児童もハンマーで撲殺していたことも明らかになりました。神戸市児童連続殺傷事件は「酒鬼薔薇事件」とも呼ばれ、犯罪史に残る少年事件としてその名を刻みます。20年たった現在でも話題が絶えないのは、酒鬼薔薇を崇拝・模倣した少年による事件が後を絶たないことがあります。point 418 | 1

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写真:lishiquwen.com

◼︎医療少年院から仮出所、手記出版へ

逮捕された酒鬼薔薇=少年Aは、神戸家裁での審判や精神医鑑定を経て医療少年院に送致されます。母親への異常なまでの復讐心や、性的な未熟さがサディズムにつなり、猟奇的な事件を引き起こしたと結論付けられました。医療少年院の関係者や精神鑑定を行った医師の証言によると、酒鬼薔薇は着実に「回復」への道を歩んでいたといいます。2004年に仮退院し、翌年からは一人暮らしを始め仕事もこなしていました。しかし、その翌年、突然身元引受人との連絡を絶って姿を消します。10年後の2015年、酒鬼薔薇は「元少年A」の名義で自らの思いをまとめた手記『絶歌』を出版。自分の身勝手な「名誉回復」を訴えた手記は、遺族の了解を取らないまま一方的に出版を強行したものでした。結局、事件発生から現在まで、酒鬼薔薇が何一つ更生できていない事実だけが浮き上がりました。point 448 | 1

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写真:secrettalk.me

◼︎結局、「反省」から逃れ続ける酒鬼薔薇

手記『絶歌』だけでなく、酒鬼薔薇は2015年に自身のホームページを開設し、出版をめぐる言い訳を展開しています。不気味な自作の絵画やオブジェも掲載しました。こうした酒鬼薔薇の行動に深く傷つけられたのは、わが子を無残に殺された遺族です。医療少年院時代から現在まで、酒鬼薔薇が直接遺族に向き合って謝罪したことは一度もありませんでした。

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写真:thetv.jp

◼︎更生か、厳罰化か

酒鬼薔薇事件を機に、未成年が起こす重大事件に成人並みに厳罰を科す少年法の改正論議に火が付きました。一方で、犯罪統計でも未成年の重大犯罪は減ってきているという主張もあります。自らの行為を反省することなく、現在も姿を消したままの酒鬼薔薇。彼が社会の奥底に潜む悪意を汲み取ったアンチヒーローとして生き続けるのであれば、第2第3の猟奇事件が起きても不思議ではありません。

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