X
    Categories: CELEBENTERTAINMENTISSUE

映画界に燦然と輝くその名は吉永小百合


写真:pinky-media.jp

◼︎現代映画界に置いての名女優

1945年に東京で生まれ、育った吉永小百合は、現代の映画界において、その名を知らない者はいないとまで言える、不世出の名女優です。彼女のファンはサユリストと呼ばれ、多くの人物がサユリストであることを公言しています。
有名なところでは、タモリが熱烈なサユリストであることが知られていて、個人的にも交流があり、二人でラグビーを観戦するため、一緒にラグビー場に足を運ぶこともあるほどです。
ラグビー場での吉永小百合は、いくつになっても変わらないその清楚なイメージとは裏腹に、大声を出して選手を叱咤激励するため、その姿にタモリは度肝を抜かれたと語っています。point 354 | 1

ADVERTISEMENT

写真:myjitsu.jp

◼︎母校への強い思い入れ

それもそのはず、吉永小百合は忙しい芸能活動のため、高校を中退しているものの、大学入学資格検定によって早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学を果たしていることから、母校に対する思い入れは強いものがあるのでしょう。
相変わらず多忙を極めていましたが、4年間で、しかも次席で卒業、さらには文学士の称号を持つ才女でもあります。
そんな彼女は毎年欠かさず、母校の早稲田大のラグビー部になんと牛一頭を丸ごと差し入れしているのです。
母校の応援となると、自らのイメージを気にせず大声で叫ぶあたり、気さくな人柄が窺い知れます。
ちなみに、ラグビー人気を高めたあの五郎丸選手も早大ラグビー部の出身で、吉永小百合からの差し入れを毎年楽しみにし、差し入れから力を得ていたと言います。
早大ラグビー部員にとって、まさに伝統行事ともいえる待ち遠しい差し入れになっているのではないでしょうか。point 452 | 1

ADVERTISEMENT

写真:pinky-media.jp

そんな吉永小百合は、女優としての地位を不動のものにする一方で、ピアノをたしなみ、歌を歌うという才能も併せ持っています。橋幸夫とのデュエットで大ヒットした「いつでも夢を」は30万枚を売り上げる大ヒットとなり、日本レコード大賞受賞も果たしました。

ADVERTISEMENT

写真:barks.jp

映画女優としてたくさんの作品に携わってきたこともあり、テレビドラマで見る機会は少ないイメージがありますが、映画の撮影の合間を縫って、大河ドラマなどに出演しています。
現在は出演は映画に絞り、テレビにおいてはコマーシャルへの出演のみとしていて、テレビでその姿を見られるのは、ある意味、貴重だともいえます。
また、舞台は絶対にやらないと決めていて、その理由に舞台の面白さがわからないためとはっきり言っています。
満足いくまで撮り直しをする映画の世界に長く生きてきた彼女にとって、一発勝負の舞台は悔いを残すことが多いのかもしれません。point 322 | 1

ADVERTISEMENT

写真:pinky-media.jp

◼︎なぜ彼女は反戦・反核運動を?

広島、長崎の原爆を題材にした作品に出演することも多く、これをきっかけに原爆詩の朗読をライフワークとしています。この活動には、反戦・反核運動も含まれており、東日本大震災での福島第一原子力発電所の事故から、脱原発の活動にも力を入れています。
そんな原爆をテーマにした作品でもっとも新しいのは、長崎に投下された原爆によって死んだ息子が、母に会いに帰ってくるという内容を描いた山田洋二監督による作品、「母と暮らせば」です。
死んだ息子役には、アイドルグループ嵐のメンバーでありながら、その演技力は本職の役者も舌を巻くと言われる二宮和也が、山田洋二監督たっての希望により、キャスティングされました。
この息子が大いに気に入った彼女は、その漢字から「かずやさん」と読み間違えられることが多く、二宮本人もあえて訂正しないことを気にかけ、人のいるところでは「かずなりさん」と呼んでいたと言います。
それを受け、もともと人の懐に入り込んでいくのがうまい二宮も「小百合さん」と呼ばせていただきましたと、嬉しそうに語っていました。
よほど息子として可愛かったのか、その後もテレビで見かけると「うちの息子と思ってしまう」と発言しているあたりからもわかるように、二人の息がぴったり合った作品に仕上がっています。point 620 | 1

ADVERTISEMENT