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舘ひろし&神田正輝が「石原プロ」最後の“仕事始め”に…「昭和の尊い人間関係⁉」「なんだか泣けるなぁ…」


大安で末広がりの8日、東京・調布に構える 老舗芸能事務所、石原プロモーションで 最後となる新年事務所開きが行われました。去る1963年に、当時の大スター、石原裕次郎さん(享年52)が 設立した同事務所が58年にわたり恒例行事として大切にしてきたのが “仕事始め”だという。

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msn.point 54 | com

創業者の裕次郎さんと 昨年8月に死去した 2代目社長、渡哲也さん(享年78)の写真の前で、“儀式”に臨む社員たちのかしわでが響き渡ります。
石原プロが、16日に解散するため 最後となる新年の事務所開きには、所属俳優の舘ひろし(70)さんと 神田正輝(70)さんも 出席。新型コロナウイルスによる2度目の緊急事態宣言初日となったこの日、限られた出席者の中に2人の姿が…。point 235 | 1

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産経デジタル

独立する2人は 社内で最後の対面を果たし、別れの肘タッチ。神田さんは笑顔で「居心地がよかったね」と解散後 初めてコメントしました。舘さんも「石原プロは俺の中に残っている」と魂の継承を誓っていました。

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「契約書もないんじゃないかな」⁉ 石原プロに集まった人は ハッピーだった…

石原軍団のツートップは、ファンからの年賀状に目を通したり、久しぶりに顔を合わせたスタッフや新年のあいさつに訪れた関係者とも談笑。人生の半分を預けた同社での最後の時間を過ごしました。

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昨年7月に発表された同社の解散と自身の独立報道後、初めて胸中を告白した神田さん。1973年に 裕次郎さんに 誘われ 入社以来、48年 同社一筋だっただけに「契約書もないんじゃないかな」と深い信頼関係をアピールしました。

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jisin.jp

「48年間、仕事は 空いたことがなくて 本当にラッキーだった。石原プロに集まった人は ハッピーだったと思う。会社がなくなるときに分かるよね、どんなものだったか。面白くて、居心地がいい会社だった」と振り返っていました。

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一方、「ぬるま湯で、すごく居心地がいい(笑)。温かくて楽しかった。俺が事務所をやるとしても、仕事始めに餅つきしたり、俺の中に残っている石原プロのいいところを残したい」と笑顔で答えたのは、渡さんに心酔し、83年から38年在籍した舘さん。71歳の誕生日で、石原プロが 俳優マネジメント業務を終える 3月31日以降に 独立することに…。改めて決意をにじませていました。

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sponichi.point 59 | co.point 62 | jp

事務所開きを終え、「俺、今から仕事で大阪に行くから」と 神田さんが 舘さんに肘を出すと、舘さんも あうんの呼吸でにっこり。コロナ禍で握手の代わりに“別れの肘タッチ”をかわしたのでした。そして…
「俺に何かできることがあったら言って」と一言。神田さんが「何を?」ととぼけると、「例えば(事務所の)広報、電話番でも何でもできるからさ。俺ができることがあったら言って、いつでも」と 冗談めかしつつも 盟友との変わらぬ絆をアピール。
笑顔でうなずき、「行ってきます」と普段どおりに事務所を去る神田さんに 舘さんも 「いってらっしゃい」と送り出しました。point 327 | 1

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石原プロの男たちは、裕次郎さん、渡さんから教わった男の美学で “立つ鳥跡を濁さず”を貫くことでしょう。

 

裕次郎さんを尊敬されているからこその決断⁉ 石原プロの方たちはとても素敵に年を重ねて…

今回の報道にも多くのコメントがよせられているようですが…。

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《石原プロ解散が発表されて間もないうちに、渡哲也さんが死去。恐らく、死期を悟り、裕次郎さんの遺言「俺が死んだら即会社をたたみなさい」を今こそ実行に移さなければならないと決断されてたのでしょうか。渡さんの訃報を知った時は真っ先にこの石原プロのことが頭をよぎりました。本当に石原プロを愛し、裕次郎さんを尊敬されているからこその決断なのかなと尊敬します 》

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《芸能界での活動はもちろん、被災地での炊き出しの光景が印象強く残っている。渡さんが鉢巻して、焼きそば作ってるシーンが忘れられない。その暖かい事務所が無くなるなんて、凄く寂しく感じる。舘さんと神田さんのやりとりも、なんだか泣けるなぁ。皆さん、今までありがとうございました! 》

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sponichi.co.jp

《当時、私の母校の理事長と石原裕次郎と親交があり、渡哲也さんがイベントに来てくださったり、学園祭には石原プロの皆さんが来てくれました!渡哲也さんから炊き出しのカレーを頂き、握手も快くして頂きました。神田正輝さんや舘ひろしさんも来たのがビックリしました! 》

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《石原プロの方たちは、とても素敵に年を重ねておられますね。尊敬する先輩の背中を見て育ち、それを見て後輩が育つ。そういう事務所が解散というのは、とても残念ですが、終わりもきれいに畳まれて、流石ですね。これからも舘さんや神田さんたちのご活躍を願っています… 》

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《余り人前で誉めない裕次郎さんが全幅の信頼を置き哲也と呼んでた、渡哲也さん。その渡哲也さんが、ひろしと呼び可愛がり舘ひろしさんも、アニキ や父親のように慕ってた渡哲也さん。昭和の尊い人間関係だった…》
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等など、やはり解散を惜しむ声が相次いでよせられていたようでした…

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