X
    Categories: CELEB

黒柳徹子『ザ・ベストテン』時代の超美人写真公開!


インスタでザ・ベストテン時代の写真公開!?

instagram.com/p/Bcjd0QoHUz8/?utm_source=ig_embed&utm_medium=loading" data-instgrm-version="12" style=" background:#FFF; border:0; border-radius:3px; box-shadow:0 0 1px 0 rgba(0,0,0,0.5),0 1px 10px 0 rgba(0,0,0,0.15); margin: 1px; max-width:658px; min-width:326px; padding:0; width:99.375%; width:-webkit-calc(100% - 2px); width:calc(100% - 2px);">

View this post on Instagram

ADVERTISEMENT

今日は、「徹子の部屋」本番4本。 楽屋に、大きい柿の差し入れ! 私は、硬い柿より、ぐじゅぐじゅにした、柔らかい柿が好き? そのことを知ってる、「徹子の部屋」のお花やゲストの飲み物を用意してくださる方(業界では「消え物」という)が、自分のお家で育てた柿を、私の好きな状態になるまで待って、持ってきてくれます? ものすごく甘くて、とっても美味しいです。 家でも、今年の秋にいただいた「富有柿」を、じっくりと熟させています。 毎日、指で触ってるけれど、まだまだ、ぐじゅぐじゅになるのには、時間がかかりそう。point 491 | 1

ADVERTISEMENT

A post shared by Tetsuko Kuroyanagi (@tetsukokuroyanagi) on

黒八木徹子さんが自身のInstagramで、1978年から1989年まで放送された音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)時代の写真をアップし、注目を集めています。一体どんな写真だったのでしょうか?

ADVERTISEMENT

 

黒柳徹子 プロフィール

View this post on Instagram

今日は、「日立 世界ふしぎ発見!」本番3本やりました。 この着物は、NHK専属女優になった年に、母に作ってもらった着物です。 NHKのテレビドラマの本番の時に、女優の沢村貞子さん(私は、母さんと呼んでいた)の着物を見て、いつも「いいなぁ?」と思っていた。 ある日、私も欲しい!と思って、母さんに「そういう素敵な着物は、どこで、買えるの?」と聞いてみた。 すると、母さんは「買うんじゃなくて、染物屋さんに頼むんだよ」と教えてくれた。 何日かして、母さんの家に行き、染物屋さんを紹介してもらった。 地模様や柄(御所解)を決めて、色は、私の好きなルビー色でと、染物屋さんにお願いした。 私のイメージはルビー色なんだけど、なかなかその色に染まらず、染物屋さんに何回もサンプル用の小さな生地を染め直してもらって、最終的にこの色になりました。 私は、とても気に入りました。 私の大切なものです。point 668 | 1

ADVERTISEMENT

A post shared by Tetsuko Kuroyanagi (@tetsukokuroyanagi) on

生年月日: 1933年8月9日 (年齢 84歳)

生まれ: 乃木坂

ADVERTISEMENT

 

黒柳徹子の若かりし頃…

黒柳さんがご自身のInstagramに載せた写真は、『ザ・ベストテン』の司会を務めていた頃の写真だそうで…。

ADVERTISEMENT
point 0 |
エンタメステーション

この写真は、40代半ばかな?「ザ・ベストテン」の司会をやってた頃です。「ザ・ベストテン」は、黒いランキングボードに、白い文字がバタバタ回って地味なので、華やかなお洋服を着て欲しいとのことで、毎週、色を意識したイヴニングを着てました。このイブニングは、「ザ・ベストテン」でも着た、森英恵先生に作っていただいたものです。point 218 | 1

ADVERTISEMENT
sankeibiz.jp

このお洋服は、森泉さんのおばあさまとしても知られる、ファッションデザイナーの森英恵さんが作ってくださったようですね。素敵なお洋服!この黒柳さんの写真を見たファン達から、称賛の声が多数寄せられました!

ADVERTISEMENT

・自分の40代のころとは比べられません!本当に綺麗です。

・ドレスも素敵ですが、徹子さんとても綺麗‼️

・髪をおろすと、いつもと雰囲気がすごく変わりますね。この髪型もいいですよ。

View this post on Instagram

ADVERTISEMENT

今日は、「徹子の部屋」本番3本。 私の好きな色味のグリーンで、バラの花のジャガード織りジャケット? 今日、放送された「徹子の部屋」のゲストは、お昼のドラマ『トットちゃん!』で、私の役をやっていただいてる、清野菜名さんでした。 このドラマには、私が、昔、着ていたお洋服を、お貸ししています。 今日の「徹子の部屋」で、清野さんが着ていたワンピースとバッグも、私のものです。 驚いたのは、お貸ししたお洋服が、丈もどこも直すところがなく、サイズが清野さんに、ピッタリだったことです!! これから、時々、私のお洋服も『トットちゃん!』に登場するようです。お楽しみに?point 519 | 1

ADVERTISEMENT

A post shared by Tetsuko Kuroyanagi (@tetsukokuroyanagi) on

確かにトレードマークのお団子頭とはイメージが違いますね!

ADVERTISEMENT

 

▼▼▼▼黒柳さんの若い頃の写真をもっと見ましょう!▼▼▼▼

 

 

黒柳徹子の美貌は凄かった!

黒柳徹子さんは、今回のように過去の写真を投稿されることがあります。そのたびにかなり話題になります!

ADVERTISEMENT
View this post on Instagram

このTシャツは、当時、どなたかに、いただいた物です。 本当に、良く出来ていて、とても、私は気に入り、かなり着てました。 だいたい40年前になりますが、非常に懐かしい写真。 それにしても、このTシャツは、うまく出来ていました? 私は、これを着て、コマーシャルに出たことがあります。 でも、残念ながら、非常に評判が悪かった! というのも、視聴者から「本当に、胸を出しているのなら話は分かるけれども、胸を出しているのかと思ってたら、プリントのTシャツだ!っていうのは、どういうことだ!!」という批判です。 私は、「そんなのって、すごくおかしい」と思いました。しばらくして、CMは中止になり、撮り直しをしました。 まあ、そんな逸話のあるTシャツです。 「徹子の部屋」の放送、第1回目のゲスト森繁久彌さんをお迎えした時に、私が着てる「タキシードのTシャツ」もそうですが、今で言う、「なりきりTシャツ」が、流行った時代でした。point 668 | 1

ADVERTISEMENT

A post shared by Tetsuko Kuroyanagi (@tetsukokuroyanagi) on

とてもかっこいいですよね!このTシャツを着こなすなんてさすが!

ADVERTISEMENT

花魁姿もとてもお綺麗です!

View this post on Instagram

今日、お昼のドラマ『トットちゃん!』が、最終回でした。 『トットちゃん!』では、私が、産まれる前の両親の若い姿を見ることもでき、その時代が、どうだったのかも分かりました。 また、子供の頃にお世話になった方々や、日本のテレビ本放送開始から、ずっといっしょに過ごした懐かしい仲間とも、再会することができました。 私のインスタグラムのコメント欄にも、ドラマ『トットちゃん!』のファンの方々から、暖かいメッセージをたくさんいただきました。 みなさん、ありがとうございます。 私が、NHKに採用され、テレビ女優第一号として入社したのは、1953年です。 いち早く、テレビの本放送が始まっていたアメリカから、NBCテレビ局のプロデューサーを日本に招いて、テレビ放送の指導を受けました。 当時は、テレビのことを「テレビジョン」と言ってました。 ある日、アメリカから来たプロデューサーが、NHKの職員の前で講演をしました。 「テレビジョンというのは、今世紀最大のメディアになると、私は信じています。我々の文化が向上するか、堕落するか、正しい人類向上の道をたどるか、それは、テレビジョンにかかっています。そして、かつて見たことのない世界各国の習慣や風俗も、私たちの目の前に現れてきます。今まで、人類が夢想だにできなかった国際間の理解と、そして平和が、テレビジョンによって、もたらされると信じています。」 この講演をした、テッド・アレグレッティーさんの言葉に、私は、すごく感銘を受けました。 「そうか。テレビジョンは、平和をもたらすこともできるのか!」 私は、その話を聞いて、テレビの仕事をして行こうと、決めたのです。 それから、64年が経ちました。 今でも、アレグレッティーさんの言葉を、繰り返し思い出すのです。 「テレビは、うまく使えば、永遠の平和をもたらすことができる。」 私たちは、テレビをうまく使っているのだろうか!point 1070 | 1

ADVERTISEMENT

A post shared by Tetsuko Kuroyanagi (@tetsukokuroyanagi) on

黒柳さんがNHKに入社したころの写真。本当にお美しい・・。

ADVERTISEMENT
View this post on Instagram

お昼のドラマ「トットちゃん!」で、ちょうど今、放送してる、私がNHKに入った頃の写真です。 先週のドラマに出てきましたが、NHKの研修時代に、先輩の俳優が、私達研修生を集めて「いいか、覚えとけ。蹴落とさねえ奴は、蹴落とされるんだ」と、言われました。 それを、聞いて、私は、1リハ(第1リハーサル室)の壁を蹴って、泣いた。 絵本を上手に読んであげられるお母さんになりたくて、NHKの試験を受けたのに、 そんな、人を蹴落とさなきゃ、やれない仕事なんて絶対に嫌だ! 私は、人を蹴落としたりなんかしない。 そんな事までして、女優になんかなりたくない! そう、思った。 それから、63年間。 私は、ここまでやってきました。 考えてみると、自覚はしなくても、誰かを蹴落として、ここまで、やって来たのかもしれないのです。 でも、少なくとも、私は、誰かを蹴落とそうなんて、思わないで、ここまで、仕事をして来れたことに、感謝しています。point 668 | 1

ADVERTISEMENT

A post shared by Tetsuko Kuroyanagi (@tetsukokuroyanagi) on

身も心もお美しい黒柳さん。

View this post on Instagram

ADVERTISEMENT

この写真は、戦争中に青森県三戸郡という所に、疎開していた時の私です。 お昼のドラマ「トットちゃん!」では、ちょうど、先週放送していた頃ぐらいです。 この写真を見て、「かわいそうに、随分緊張して暮らしていたんだね」と、言ってくれた人がいました。 夜になると、空襲や爆撃のある東京から逃れて、知り合いを訪ねて、青森に疎開。 父は、出征して兵隊になり、どこに行ったのかも、分かりませんでした。 確かに、私は、緊張して生活していたのかもしれませんね。 このセーラー服は、従姉妹から貰った、私の一張羅でした。 それまでは、横分けの髪に大きいリボン。母の手作りのかわいい洋服。そして、白いハイソックスに、黒いエナメルの靴。 お洒落をするのが、大好きでした。 そういう格好から、戦争になると、東京から持っていった洋服も、ボロボロになってしまい、足は、どんどん大きくなって、お気に入りの靴は入らなくなりました。 従姉妹に貰った、このセーラー服にモンペのズボン、そして、下駄というのが、私の唯一のよそゆきでした。point 684 | 1

ADVERTISEMENT

A post shared by Tetsuko Kuroyanagi (@tetsukokuroyanagi) on

戦争中の写真も載せています。

View this post on Instagram

ADVERTISEMENT

このパンダは、カンカン。男の子です。可愛い? 1972年に、中国から、初めてパンダ2頭を、日本に贈っていただいた時の嬉しさは、何とも形容ができない、本当に飛び上がって喜びました。 いっしょに来た、女の子は、ランランです。 この写真は、私が、ランランとカンカンを見に行った時に、カンカンが私のところに近寄って来てくれたのです。 カンカンとランランが、こんなガラスまで近寄って来たことは、なかったそうです。 上野の動物園の方が、写真を撮っておいてくれてました。 カンカンとランランは、とっても仲良しでした。 ランランが、ちょっとお姉さんぽく振る舞うのに比べて、カンカンは、子供っぽく、実にいい組み合わせでした。 私は、子どもの頃からパンダの研究をしていました。 そのきっかけは、叔父が報道カメラマンをしていて、戦争中アメリカから帰って来たときに、パンダのぬいぐるみを、私にくれたのです! 当時は、パンダなんて、誰も知りませんでしたから、夢中でパンダの事を調べました。 研究していくうちにわかったったのですが、パンダは、すごく神秘的な、複雑な動物だということです。 パンダがカワイイのは、体がまん丸い、そして垂れ目をはじめとする、白と黒の色分け、やはり神様はいらっしゃると思ってしまうほど、ユニークなのです。 叔父からもらった、パンダのぬいぐるみは、唯一、東京から疎開先にも持って行き、大事に大事にしており、今も、私の部屋にあります? 今度、写真を撮ったら、インスタにアップしますね。 昔のことだから、「正しくないパンダ」なんだけど、可愛いです? ちなみに、私が着ているセーターは、自分で編んだものです。point 930 | 1

ADVERTISEMENT

A post shared by Tetsuko Kuroyanagi (@tetsukokuroyanagi) on

パンダのカンカンとの写真も!

 

まとめ

View this post on Instagram

ADVERTISEMENT

この写真は、私がニューヨークに、住んでた38歳の時のもの? この頃は、こういうファッションが流行ってたんだけど、今、見るとかなりの露出ね! ニューヨークに行くのを決めたのは、30代半ばくらい。 私は、実家で暮らして、実家から仕事場に通っていた。それまで、家事を、一切したことがなかった。 「私、このままの状態で、芸能界の仕事をし続けたら、何んにも、知らない大人になっちゃうなぁ!」と考えてた。 日本でも、文学座で2年、演劇の勉強はしてました。 舞台の仕事を、たくさんするようになったら、「やっぱり、本場、アメリカのブロードウェイで、演劇の勉強をしたい!」と思った。 2〜3年かけて、仕事もコマーシャルも全部やめて、ニューヨークに渡った。 一人暮らしの、何もかもが、始めての経験で、毎日が楽しかった? この写真は、演劇学校の同級生に、自分のアパートでランチをご馳走して、お皿を洗ってるところです。point 635 | 1

ADVERTISEMENT

A post shared by Tetsuko Kuroyanagi (@tetsukokuroyanagi) on

現在もお美しいですが、昔も綺麗だったんですね!