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タモリのトレードマークサングラスは目の失明が原因?


タモリのサングラスは今ではトレードマーク。しかしこのトレードマークには意外な事実が隠されていました。なぜタモリが、現在のようにサングラスをかけるようになったのか、原因を解説します

 

タモリのテレビ登場


写真:nekomarimo.com

タモリの本名は森田一義。1年の浪人をへて、早稲田大学第二文学部に入学。大学に在学中に、モダンジャズ研究会に所属して、トランペットを担当していました。その楽器の腕前は、相当なもので、現在でも早稲田の母校で、演奏することがあるそうです。彼のジャズ通は芸能界でも有名。生前のマイルスデイビスが来日した時に、インタビュアーとして抜擢されたのがタモリでした。タモリが芸能界に入るきっかけになったのは、このJAZZ.point 284 |

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大学の学費未納で開学になり、一次故郷の福岡に帰り、地元で保険の外交員やボーリング場のマネージャー、旅行会社など職を転々とします。しかしそんなタモリに転機が起こります。福岡でJAZZの巨匠渡辺貞夫のコンサートがあり、終了後偶然渡辺の打ち上げをする飲み屋にタモリと友達が同席し、渡辺や山下洋輔トリオのメンバーが酔って羽目を外しているところに、お得意のでたらめ韓国語とでたらめアフリカ語で、乱入したというのです。渡辺や山下らは、急きょ飛び入りをしたタモリを「誰?」と怪訝そうに見つつも、あまりにも面白すぎるタモリのアドリブに、山下は呼吸困難に陥るほどだったといいます。こののち東京の同志があつまって、タモリを東京に呼び戻し、赤塚不二夫との縁で、赤塚が知り合いの番組や知人の番組に紹介し始めたことがキッカケで、タモリは芸能界に足を踏み入れていくのでした。タモリがテレビ出演を初めてしたころは、現在のサングラスではなく、黒の眼帯や、海賊の様なアイパッチをして登場していました。point 433 | 1

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タモリの失明の原因


写真:matome.naver.jp

テレビに出始めたころのタモリはコメディアンという事で、眼帯をしたり、アイパッチをしたりして、登場しています。タモリの右目は幼少の頃の事故が原因で、失明しています。タモリの実家は裕福な家庭でしたが、両親が離婚してからはタモリは内気で一人遊びばかりするような少年だったそうです。小学3年生の時に、たまたま電信柱からつきだしたワイヤーが目にささり、失明してしまいます。2ヶ月休校をして治療にあたりましたが、視力は戻りませんでした。point 295 | 1

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タモリの義眼


写真:new-ahiru.com

タモリが小学生の時の事故をきっかけに、右目の視力を失ってから、義眼をはめているようで、視力を調節するために最初はテレビ出演でも、普通のメガネをかけていたようですが、番組のスタッフから、あまりにも顔にインパクトがない。という事から海賊のようなアイパッチをつけさせられたのがキッカケだそうです。

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サングラスで叱られる


写真:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

1975年タモリが改めて上京した際に、面白い素人が’いるからネタを見て欲しいと、スタッフを通じて、タモリは堺正明を紹介されるのでした。堺はタモリに物まねを見せて欲しいというと、タモリは自分のとっておきのネタを披露したと言います。しかし堺は全くピンとこず、「九州に帰った方がいいんじゃない?」といったと言います。また人前で義眼であることを知られることを拒んでいたタモリが、サングラス姿でネタを披露したもので、堺は「サングラスくらいとれよ!」とタモリを叱り飛ばしたそうです。point 333 | 1

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まとめ


写真:matome.naver.jp

タモリは今では芸能界の重鎮ですが、彼がデビューしたころはタモリの様な独特の芸風のコメディアンがいなかったため、そのアイパッチやサングラスの風貌も、とっても奇妙に見えたことでしょう。しかし世間がタモリの芸を斬新で面白いと思うようになるのに、たいして時間はかかりませんでした。幼少の頃に追ってしまった傷が、今ではトレードマークになるなど彼は芸能界でトップになる運命の人だったのではないでしょうか

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