織田信成と言えばスポーツ系の番組だけでなく、バラエティやワイドショーなど多くの番組に出演している人気タレントというイメージが強いでしょう。しかし元々はフィギュアスケートの選手で、現役時代はトップ選手の一人として活躍していました。スポーツ選手が引退すると解説者になったりタレントとしてテレビ番組に出演することがありますが成功するのはほんの一握りの人たちでしょう。見事に成功した織田信成の選手時代の実績を確認してみましょう。
織田信成は家系も凄かった
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織田信成は1987年に大阪府で誕生しています。お母さんが元々スケートの選手だったため7歳の頃からフィギュアスケートを始めています。フィギュアスケートは子供の習い事の中でも最もお金がかかると言われており、裕福な家の子供だけが習えるスポーツというイメージをお持ちの方も多いでしょう。それもそのはず織田信成はかの戦国武将織田信長の末裔であり名前にも信の文字が使われています。織田信長の末裔という家柄からしても一般家庭では難しいフィギュアスケートを続けることができたのでしょう。コーチでもある母親から指導を受けながら小さい頃から練習を続けていたため、ジュニア時代からまずまずの成績を残していました。
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織田信成の現役時代は世界で活躍できる日本人選手が増え始めていた頃で、身近にライバルがいたことも影響したのでしょう。シニアに移ってからはグランプリシリーズで優勝するなど目覚ましい活躍を見せており、数々のメダルも獲得しています。2006年に開催されたトリノオリンピックには出場できませんでしたが、2010年開催のバンクーバーオリンピックには見事出場して彼らしいコミカルな演技を披露しています。ショートプログラムの結果はまずまずでしたが、フリーの演技では失敗が響いたものの7位入賞という結果を残しています。
織田信成は末裔らしからぬ穏やかな性格?
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フィギュアスケートの選手として活躍していた頃は、とにかくよく泣く選手という印象が強かったでしょう。試合で演技を披露した後はキスアンドクライと呼ばれるスペースで点数を待ちますが、結果が分かった瞬間に大声で泣いていた姿は有名です。失敗して悲しくて泣くこともあれば、成功してうれし泣きをする姿もテレビカメラにはしっかり映っていました。織田信成がガラスのハートの持ち主であることは、フィギュアスケートファンのみならず日本国中が知ることになったのです。先祖にあたる織田信長は戦国武将らしく激しい性格だったようで、鳴かぬなら殺してしまえほととぎすという句はあまりにも有名です。しかし織田信成は織田信長とは全く違う穏やかで優しい性格の持ち主のようで、テレビのバラエティ番組に出演したときも号泣する姿を何度となく見せています。
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優しさゆえに頼りなくみられがちな面もありますが、実生活では既に結婚して子供をもうけ立派に家庭を築いています。バラエティやワイドショーのコメンテーターとして見ることも多いですが、やはり本業であるフィギュアスケートでは解説や取材などを行っており視聴者に分かりやすく伝えてくれています。一般人には決して身近ではないフィギュアスケートというスポーツを身近に感じさせているのは、解説する織田信成の分析力や話術にあるのでしょう。
まとめ
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かの戦国武将織田信長の末裔としても知られる織田信成ですが、現役を退いてからも決して色あせることなく輝きを放っています。フィギュアスケートの種目でオリンピックに出場しており、7位入賞という結果を残しています。選手を引退してからも解説などでフィギュアスケートに携わっていて、試合の内容だけでなく選手の近況など幅広い情報を届けています。また本業以外ではテレビのバラエティやワイドショーなど多くの番組に出演して人気を集めています。