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飛行機墜落事故の唯一の生存者、ジャングルの中で11日間を生き延びた少女


飛行機は最も安全な交通手段と言われていますが、恐怖心を抱く人がいるのも当然だと思います。墜落事故はごく稀にしか起こりませんが、起こってしまえば搭乗者はそのまま死も当然でしょう。

今回は、そんな飛行機墜落事故の唯一の生存者のお話です。

1971年、92名の乗客を乗せた航空機がアマゾン川上空を飛行中、雷に打たれて行方不明になってしまったのです。11日間に渡り徹底的に捜査した警察は、生存者なしと結論づけたその時、1人の少女がジャングルの中から現れてきたのです。

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ユリアン・コプケはペルーで生まれたドイツ人で、動物学者の父親と鳥類学者の母親は、アマゾンのジャングルで研究生活を送っていました。そんなユリアンも同世代の子供たちとはかなり異なった環境で育つことになりました。1971年のクリスマスイブ、17歳のユリアンは母親とドイツ行きの飛行機に搭乗することになりました。

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その時、悲劇は突然起きました。離陸直後のユリアンたちが乗っている飛行機に雷が直撃したのです。ユリアンは当時の事をこう振り返ります。「10分後、窓から左側のエンジン辺りに眩しい閃光が見えました。母はすごく落ち着いてこう言いました。『これで終わり、何もかもお終いだわ』これが母の最後の言葉です」と。

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飛行機は上空約3,000メートルで爆発、崩壊。そしてユリアンは座席に座りシートベルトをつけたまま地上へ落ちました。しかし奇跡的に命に別状はなかったのでした。座席はもちろんのこと、アマゾンに生い茂る木々がクッションの役割を果たしたおかげで、鎖骨の一部が折れ、足に傷を負っていたのもの、そのほかの外傷がなかったとのこと。意識を取り戻したユリアンは、まず一緒に乗っていた母親の行方を探しました。飛行機の墜落現場ではお菓子の袋を発見し、飢えをしのいだそうです。point 226 | 1

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4日目、大きなハゲワシの群れが見えました。ハゲワシのいるところには死体があるということをジャングルでの生活で知っていたユリアンは、そこに乗客の遺体があると直感したそうです。そして案の定、多くの遺体を発見。「恐怖で神経が麻痺したようでした」「遺体を見たのは初めてでした」と話し、しかしここでも母親を見つけることはできなかったそうです。

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助けを求めて、ジャングルをさまよい歩いた日々は永遠にも感じるほどだったと言います。近視でメガネをなくしていたため、足元さえはっきりと見ることができず、右腕の傷口には1センチもの大きさのウジがたかり始めていたそうです。それでも両親とジャングルの中で暮らしていた経験を生かし、毒ヘビを避けるため小川を歩くなどして生ることを決して諦めませんでした。そしてその努力はとうとう実を結び始めます。

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10日目、大きな河のほとりを歩いていたユリアンは、ボートと小屋を見つけたのです。人の痕跡に歓喜し、そして小屋の中でガソリンを見つけ、犬にウジがわいた時に父親がやっていたことを自分の右腕に実践たのでした。そしてガソリンをウジがうごめく右腕に吹き付けたのです。その後ウジを30匹ほど取り出し、安心したユリアンはその小屋の中で一夜を過ごすことができました。

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そして11日目、小屋の外から人の声が聞こえてくるのに気づき、木こりたちがユリアンを発見したのでした。しかし見慣れない金髪の少女を目にした木こりたちは、ユリアンが航空機事故の生存者であるとわかるまで、森の精霊ではないかと恐れて近づこうとしなかったと言います。翌日、ユリアンは木こりたちとともに、今までの世界に戻ることができました。

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その後、病院で手当てを受け、父親との再会を果たしたユリアン。そして母親の遺体が発見されたという知らせを受けました。母親も地上に落ちてきた際は生きていたようですが、落ちた時の衝撃による負傷で飛行機墜落から数日後ユリアンでこの世を去ったということでした。

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46年後の今、ユリアンはペルーで生物学者として両親と同じ道を歩んでいるそうです。そして自身の母親を含む91名の尊い命を奪った航空機事故の唯一の生存者として、今も当時の体験を語り続けています。当時を生き延び、またトラウマを乗り越えたユリアンの精神力の強さに脱帽です。

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こんな奇跡的な話があるなんて…!