先日他界された、舞踏家であり、作家でもある花柳幻舟さん。
めがね橋からの転落については次の機会に譲るとして、今回は花柳幻舟さんの波乱万丈な過去を振り返りたいと思います!
花柳幻舟といえば、世間を賑わせた2つの事件や、その波乱万丈な人生が思い浮かびます。
作家や舞踏家でもありますから、多くの素晴らしい作品を残してはいますが、
それはひとつひとつ上げると、とてもひとつの記事で終わりませんので、重要な作品や、名前に触れる程度にしてあります。
それでは、どうぞ!
・旅役者の子として大阪で生を受けます(生年月日は非公表)。
・なんと、2歳で初舞台!
・しかし、旅役者であることを理由に小学生時代、同級生ばかりか教師らからも差別やいじめに苦しめられます。あまりのきつさに、小学校低学年にて中退してしまいます。
・当時と逸話として、保育参観日のさい、教師から学校での登校を禁じられたというものがあります。
・父の劇団が解散(花柳幻舟15歳)。
・小学校中退という学歴のため職につけず、学歴を高卒と詐称して申告し、建設省近畿地方の第二阪神国道工事事務所にて就職します。
・昼は建設省で、夜はパチンコ店、電話交換、飲み屋、キャバレー歌手、ホステスなどのアルバイトをこなし、また、土日は子守、モデル、犬の散歩などの仕事をこなします。
ハードすぎる…。
・18歳の時、建設省の事務所でアルバイトをしていた男性にプロポーズをされて結婚。しかし、長くは続かず、離婚します。
・時を前後して、日本舞踏花柳流に入門をします。夫からの自立が当初の目的だったともいわれています。
・映画「㊙色情めす市場」に出演。
・花柳流名取となりますが、家元制度へ疑問をもち、その根本原因を天皇制であると認識、家元制度打倒運動を始めます。
・創作舞踊「残・情死考」を東京にて発表。
・カナダのクロード・ガニオン監督による映画「KOTO(コト)」に出演も果たします。
・国立劇場の楽屋廊下で花柳流宗家家元3世の花柳寿輔の首に包丁で切りつけ、全治2週間の傷を負わせます。切りつける際、「思い知りなさい!」と叫んだのだとか。これが、有名な3代目花柳家元傷害事件ですね。
・懲役8か月の実刑判決をうけ、服役。のちに、自らの獄中体験を元にしたドラマ『花柳幻舟獄中記』に主演、高視聴率を得ています。
・天皇即位の祝賀パレード(1990/11)の時、カツラと厚化粧など変装し、天皇のオープンカーに爆竹約60本を投げ入れるという、天皇即位パレード事件を起こします。
・1983年には山形県に『花柳幻舟人民劇場』を設立。1994年まで毎年公演を行っていました。
・放送大学に入学し、2004年に無事卒業します。途中、3年ほどのブランクがありますが、これは司法試験準備のための期間だったそうです。
中高等学校でていないのに、大学を自力で卒業とはすごいですね!相当な努力家であったであろうことが窺えます。
・以後はテレビ出演やドキュメンタリー映画などにも出演。
・作家のとしても活躍しました。
本名や事務所などですが、調べてみると、幻舟さんの本名は「川井洋子」さんというようです。
また、個人での活動を中心に行っており、どこかの事務所に所属というわけではなく、「花柳幻舟事務所 」を開いて活動していたようです。
いかがでしたでしょうか?
幼い頃から、本当に波乱万丈な人生をおくった方でしたね。しかし、自分の信念を持ち続け、大変な努力家でもありました。