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故・大原麗子さん、孤独死の真相が明らかに!中絶・整形失敗・躁うつの過去…


2009年8月に流れた女優・大原麗子さん(享年62)の突然の訃報、それも死後3日経ってから発見されたという悲しい最期は日本中の人々を驚かせました。そんな大原さんの孤独死の真相に、6月20日フジテレビ系にて放送された『直撃!シンソウ坂上』が、孤独死の真相に迫りました。

 

大原麗子

Dattesa

名前 大原麗子(おおはら れいこ)

本名 大塚麗子(いいづか れいこ)

生年月日 1946年11月13日

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出身地 東京都

血液型 AB型

 

数多くの映画やドラマに主演し、『男はつらいよ』シリーズのマドンナ役としても知られる大原さん。さらに「すこし愛して、なが~く愛して」というセリフが一世を風靡したサントリーレッドのCMが、かなり有名だと思います。

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エントピ

「テレビタレントイメージ調査」の女性部門で13度も1位を獲得するなど、日本を代表する女優として順風満帆な人生を送っていたように思えた大原さんでしたが、過去に一体なにがあったのでしょうか。

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突然の闘病生活

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pinterest.point 73 | com

女優としてのキャリアを着々と積んでいた大原さんでしたが、20代の終わりに免疫システムの不具合から手足のマヒなどを引き起こす病「ギラン・バレー症候群」が発症してしまうのです。しかし、大原さんは1年間の療養で病を克服され、現場復帰してからも「男はつらいよ」のシリーズなどの映画や、NHK大河ドラマ「春日局」などに出演を果たすのでした。point 241 | 1

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しかし、50代を迎える頃には主演級のオファーが激減。ですが、大原さんは仕事が激減してもなお、納得のいかない仕事はすべて拒否していたのだそうです。なんでも、撮影現場でセリフのダメ出しをするなど、スタッフと折り合えない大原さんに業界内では、「扱いづらい女優」というイメージが定着してしまったからなのだとか…。

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整形失敗

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アサ芸プラス

女優としてのプライドを決して曲げなかった一方で、自身が老いていく現実も感じ取っていた大原さんは、53歳の時に左目の一重まぶたを二重まぶたにする整形手術を受けます。しかし、術後にまぶたが腫れ上がってしまい完全に失敗に終わるのです。その原因が、知名度が高い大原さんが、整形手術したことが世間に知られることを心配し、名の通った病院よりも「モグリ」のような医師を選んだためだったのでした…。その代償は大きく、整形失敗を境に、仕事は完全に無くなってしまったのです。point 299 | 1

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中絶していた過去が明らかに

FNN PRIME

大原さんは1973年、当時はまだ新人だった俳優・渡瀬恒彦さんと結婚されましたが、約4年半後に2人は離婚。しかし、その2年後の1980年・歌手の森進一さんと再婚されたのです。ですが、この結婚生活も長くは続かず、4年後には2度目の離婚をするのでした。

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しかし、実はこの森さんとの間に大原さんは子どもを授かったのだそうですが、その頃には連続ドラマの仕事を抱えていたために、中絶したという衝撃的な過去が、大原さんの実弟・大原政光さんの話で番組内にて明らかとなったのでした。この当時を振り返った政光さんは、「あそこでもし、子どもを産んで生活をしていたら、また違う人生があったかもしれないですね」と語るのでした。

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躁うつ状態にも

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マイナビニュース

こうした、いくつもの事がキッカケとなり、克服したはずの「ギラン・バレー症候群」も再発してしまうのです…。
さらにこの頃、大原さんが愛していた母親の介護も重なってしまい、大原さんは追い詰められた結果、躁うつ病まで患うことになるのでした。
複数の薬を大量に摂取したこともあってか、体と心の調子を崩し、大原さんは自宅に引きこもる生活を続けるようになるのでした。point 246 | 1

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BIGLOBEニュース

いつしか大原さんは、友人や仕事関係者に時間を問わず電話をかけ「なぜ自分を(映画やドラマに)使わないのか」などと悪態をつくような状態になってしまうのです。そんな当時の大原さんについて、番組では親友であった女優・浅丘ルリ子さんも「優しかった麗子がどうしちゃったの?」と心配しつつ、距離を置かざるをえなかったと明かしています。point 221 | 1

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彼女に手を差し伸べた人物

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その結果、芸能界で孤立してしまった大原さんに救いの手を差し伸べたのが、大原さんの最初の夫である、2017年3月に死去した俳優・渡瀬恒彦さんでした。2人の結婚生活は約4年半での離婚という結末を迎えていますが、渡瀬さんは大原さんのことを心配し、自身が主演を務めるドラマ「十津川警部シリーズ」への出演を大原さんに勧めた結果、2004年12月27日TBS系にて放送された「十津川警部シリーズ 東北新幹線『はやて』殺人事件」に出演。そして、このドラマが大原さんの遺作となったのでした。point 318 | 1

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孤独死の真相とは?

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そんな波乱万丈の人生を生き抜いた大原さんは、孤独死とささやかれていますが、なんでもその死因は…“不整脈による脳内出血”だったのだそうです。さらに死後3日が経過していたとのこと。その大原さんを見つけた第一発見者は、大原さんと連絡が取れないため、様子を見に訪れたという実弟・政光さんだったのでした。point 228 | 1

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まとめ

番組放送後は、大原さんについてネット上では、賛否両論の声があがっています。

「完璧主義な扱いづらい女優さんとの事だけど、そこまで自分の仕事に誇りを持ってるってある意味羨ましい。」

「どれだけ本人が一番苦しかったか‥ でも、離れてく周りの気持ちもわかるし わたしも孤独になったし 本当にむずかしい ただ言えることは、完璧を求めすぎると人間は壊れるということ」

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「大原麗子さん 今でも大好きです 惚れてまう魅力が 醸し出されて稀有な 女優さんでした」

 

「本人が何も言えない状況で この放送はしんどいな。 なんでも真相をやればいいってもんじゃなかろ。。。 こんな事バラされなくない」

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「昨日の大原麗子さんの特番 途中で見れなくなりました。 亡くなり、何も言えない人の触れられたくないだろう秘密、疎遠になった弟が、妊娠、中絶の事実など言って良いはずがない。許せない番組でした」

「大原麗子の堕胎の話、亡くなって10年経った後に晒されるの可哀想過ぎる…。」

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