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松本人志が語った“スナックバイト”の貧乏時代「難波から尼崎まで歩いた」


今や吉本興業のトップにまで上り詰めたお笑いコンビ・ダウンタウン。幼なじみだった2人は浜田雅功さんからの誘いがキッカケで、1982年にコンビを結成。現在は“ラピュタのよう”な超高級高層マンションに住む松本人志さんですが、お金がなかった新人時代を振り返り、驚きのエピソードを明かしています!

日刊ゲンダイdigital

20年11月15日放送の「松本家の休日」(ABCテレビ)にて松本さんは「芸人になってから貧乏な時代ってあったんですか?」との質問に、「めちゃめちゃあるよ!」と返答。「(デビュー後)2年ぐらいは結構食われへん時あった」と明かしていました。

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ダウンタウンは高校卒業と共に吉本興業の養成所であるNSCに入学。当時、見習生だった松本さんと浜田さんの収入は、共に深夜まで働いていたスナック「プチ」でのアルバイト代のみ。

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終電過ぎまで勤務した際には、スナックのママからタクシー代を貰っていたそうですが、タクシー代に使うのはもったいないとし「浜田と2人で難波から尼崎まで歩いて帰ったんや」と振り返っていました。

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アルバイト先の難波から地元の尼崎まで到着する頃には朝を迎えていたといい、松本さんは「それでも(ママから貰った)何千円を、やっぱり2人で5000円ずつにしてとかやってたよ」と明かしています。

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当時は交通費すらもおしい切羽詰まった状況だった松本さん。NSC第1期生の同期だったトミーズの雅さんは、プロボクサーとして日本スーパーウェルター級一位にもなっていたので、入学式のときにもマスコミから注目を集めていました。

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そんななか、ダウンタウンは「俺らはいつになったら売れるんや」と当時の世話人だった大崎洋氏(現会長)とファミレスでネタのアイデアを考える日々が続いていたそうです。

また、松本さんはラジオ番組『放送室』(TOKYO FM)でもデビュー直後のお金が無かった時代を語っています。

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貧乏エピソードとして「最初の頃は毎日オカンに弁当作ってもらってた」「一杯のうどんを浜田と半分ずつ食べてた」などと振り返っています。

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しかし松本さんはそんな中でも不安を感じることはなかったそうで、”自分たちが一番だ”と確信していたとも語っています。

自分たちの”お笑い”がいずれ必ず世間に伝わる日が来ることを分かっていたようですね!

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