日本が敗戦後の復興まっただ中。「もはや戦後ではない」の流行語の元の元に活気を取り戻しつつあった東京都江戸川区にある、ある某住宅街で19歳少女が、家族4人を毒殺するという痛ましい事件が発生しました。当時も世間を震撼させたその事件はいったいなぜ起きてしまったのでしょうか・・・
この年の3月某日、この住宅街に住む5人家族の長女が「お母さんや弟の様子がおかしい」と近隣住民に助けを呼びました。少女の助けをもとに、住民達がその長女の家に立ち入ると、そこには、母親と弟3人の計4人がもがき苦しみながら助けを呼んでいたのです。通報により4人はすぐに救急車へ運ばれましたが・・・
母親(46)と末弟(8)は既に絶命しており、残る長男(17)、次男(13)もしばらくして死亡したのです。死因は青酸ソーダを飲み込んだことによる中毒死で、家族は長女以外、全員死亡してしまったといいます。当初その事件はセンセーショナルに伝えられ、警察は動揺する長女に事情を聴いていました。
その少女は、警察の調べに対して、「母が子供たちに出すジュースに何かを入れていた。私が飲もうとしたら母が『飲むな』と言ったので飲まなかった」と供述していたことから、当初は警察は母を中心とした一家心中事件ではないかと考え捜査を進めていました。しかし捜査をすすめていくと不可解な点が浮かび上がる事に。
唯一の生存者である少女の証言を元に、警察が調べると、ジュースを飲んだ茶碗が台所の水場に漬けてあったことなど、疑わしい点があったため、改めて取り調べたところ、長女はなんと「自分の犯行である」と自白したのです。若干19歳の少女により家族4人の毒殺事件というまさかの結末となったのです。
当時、長女には結婚を前提にした交際相手がいたが、長女には父親がおらず、巡回理容師の母とメッキ工場で働く長女の2人で弟3人を育てていたそう。しかし、少女の交際相手の男性は、長女が3人の弟を育てており今後の生活費がかかること、彼女の住んでいる家が6畳一間しかなく、同居が不可能なことを理由に別れてしまったといいます。
それ以降、長女は荒んだ生活となり、勤めていたメッキ工場を辞め、友人の自宅を転々とするなどしていたそうです。この一家皆殺しの決意は衝動的で、この日、母と弟達が狭い六畳一間で口喧嘩をしていた際、長女も「もうこの家にはいられない」と青酸ソーダによる殺害を思い立ったというのです。なお、この長女は当初、自分のしたことがよくわかっておらず、留置所へ入れられた際、自分が家族を皆殺しにした罪に震え、大泣きし出したといいます。
戦後復興中の日本。このような家族は他にもたくさんいたのかもしれません。