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家族仲から髪事情まで!西武・森本稀哲選手の現在まとめ


森本稀哲という人物をご存知でしょうか。日本ハムファイターズが東京に本拠地を置いていた時代に入団し、北海道への移転後も人気選手としてチームの勝利を支え続けていました。堅い外野守備を誇った選手として複数回のゴールデングラブ賞を受賞、主に1番打者、2番打者として活躍できる長打も打てるシュアな打撃を持ち味としていました。足も速く、盗塁王を争ったシーズンもある一方で、豪快なプレーだけに留まらず2番打者に固定されたシーズンであればリーグトップの犠打数を記録するなど小技が上手いことでも知られています。


写真:i.ytimg.com

その森本稀哲選手がここまでの知名度を誇るに至った最大の要因はパフォーマンスです。打席に入る際のヒッティングマーチには多数の曲を代わる代わるかけて、肌を緑に染め上げて漫画「ドラゴンボール」のピッコロ大魔王に扮してグラウンドに現れるなど、背番号1とともに新庄剛志選手からサービス精神も引き継いで活躍したことが大きかったのでしょう。スキンヘッドといういかつい風貌でしたが、柔和な笑顔とコミカルな動きでアニメのキャラクターのような具合だったのです。point 284 | 1

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写真:hiveminer.com

しかし、森本稀哲選手はFA移籍した先の横浜DeNAベイスターズではファイターズ時代のような成績が出せません。特に打撃不振が深刻で、ファイターズ時代は3割打てる選手であったにも関わらず規定打席に到達しないばかりか、すっかり1割台の常連になってしまいます。1軍に登場する回数が減少したため、パフォーマンスの回数も減り、ひっそりと戦力外通告を受けてしまいます。それは最前線で輝いていたパフォーマーには似つかわしくないラストでした。point 284 | 1

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写真:metlife.co.jp

次の所属先となった埼玉西武ライオンズではスターとしての扱いは受けません。背番号は0、外野に加え慣れない一塁の守備につくなど真摯に野球に向き合い、結果も一年目にはある程度出すことが出来ました。しかし二年目は後輩たちの台頭もあり一塁での出場機会すら失い、再び戦力外通告を受けてしまいます。その結果、ユニフォームを脱ぐ決意をした森本選手はわずか二年しか在籍しなかったライオンズの選手やファンからの万雷の声援を受け、最終打席の内野ゴロを涙を流しながら打ち、全力疾走で一塁へ駆け込みました。
そんな森本稀哲さんはプロ野球選手引退後、すぐには指導者の道に入ることをしていません。東京にあるコンサルティング会社に就職し、会社員として働く傍ら野球解説者、コメンテーターとしての活動も並行して行っている、というのが現状のようです。point 427 | 1

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写真:twitter.com @onifukkusencho

森本稀哲さんは小学校の頃、汎発性円形脱毛症という疾患にかかってしまいます。これは、突然にして髪の毛を含む全身の毛が抜け落ちてしまう疾患であり、これが原因でいじめられたり集団になじめなかったことを忘れないよう、同じ病気で苦しんでいる子供に勇気を与えるために、完治した今でもスキンヘッドを維持しています。とはいえ、その風貌が彼を人気にした一因と言っても過言ではないので、多くの人の目に触れて、この病気の認知度上昇に一役買ったことは間違いないでしょう。point 308 | 1

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写真:blog.livedoor.jp

また、森本稀哲さんは2012年、モデルの奥様と入籍しています。2014年には長女が誕生するなど順風満帆の様子です。この奥様、たまたま見に行った試合で森本選手がホームランを打ったのを見て運命を感じ、奥様の方からアタックしたと言います。こんな美人に言い寄られるだなんて、森本さんも隅に置けません。
前述のとおり、森本稀哲さんはプレイヤーとしてもパフォーマーとしても記憶に残る野球選手でした。持ち前の明るさに加え、様々な逆境を切り開いてきた経験値がある苦労人の側面もありますので、是非とも指導者として野球場に戻ってきて欲しいものです。point 338 | 1

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