酒鬼薔薇事件は、神戸連続児童殺傷事件の別名として知られています。事件当初は、声明文と一緒に被害者の頭部を学校の校門に置くという強い暴力性を伴っている犯人像が描かれていました。ですがその犯人が「普通の中学生」と判明し、社会に大きな衝撃をもたらしました。
神戸連続児童殺傷事件の別名
事件の本当の名前は神戸連続児童殺傷事件ですが、世間で語られているこの事件は、おもに酒鬼薔薇事件という別名で呼ばれています。この酒鬼薔薇というのは、事件の犯人である少年Aが、殺害した男児の頭部を切断し、その口に咥えさせた声明文に書いた名前です。酒鬼薔薇聖斗と書かれていたため、酒鬼薔薇聖斗事件という名前でも呼ばれています。少年A曰く、この酒鬼薔薇聖斗という名前は、自分が小学校5、6年生の時に、悪いほうの僕自身に僕がつけた名前だと言っています。
酒鬼薔薇事件を起こした少年Aが最初に行った犯行は、女児2人を路上でゴム製のショックレスハンマーで殴りつけるものでした。女児の父親は娘の証言から、近隣の中学校に通う生徒かもしれないと目星をつけて、学校側に生徒の写真を見せてほしいと頼みますが、これは拒否され、警察に被害届を出した後にも閲覧の許可を取ろうとしましたが、同じように却下されました。酒鬼薔薇事件が明確になってからは、この時に第2、第3の犯行を防げたのではないかと、世間から批判の声もあがりました。
第三の犯行
犯人である少年Aが殺人を行おうと自分の中で決めたのは、第三の犯行時です。殺人欲求から、適当に殺せる人を探しにママチャリででかけた少年Aは、自分の弟と同級でもあり、身体障害をもった男児(土師淳くん)をタンク山と呼ばれている高台で殺害しました。
この男児の頭部を、少年Aは自分の通っていた中学校の正門に、声明文と一緒に置いています。男児の頭部が発見されるまでは、男児の行方不明事件として扱われており、須磨警察署が公開捜査を開始していました。少年Aは、遅かれ早かれ胴体も頭もいずれは見つかってしまうことを考え、あえて自分から男児の頭を晒すことで、警察の捜査網をかいくぐれると考えたと供述しています。また、この時に書いた声明文の内容も、長年の恨みを持っての犯行だと思わせる文章にして、中学校に頭部を置いたのも、学校に恨みを持っている偽りの犯人像を作るためだと言っています。
少年Aの手記と両親について
少年Aは32歳の時に、自分が起こした酒鬼薔薇事件の詳細や、当時の心境を綴った手記「絶歌」を執筆しています。これを執筆した理由としては、印税を遺族へ支払い、償いをしたいからだと話しています。ですが、この手記を執筆する際に遺族からの許可は取っておらず、謝罪の言葉も書かれていません。また、少年Aの母親も手記を執筆しています。この印税の使用方法も、周囲には弟たちが大学に入る費用だと言っていますが、実際には家を買うための資金として使われ、被害者遺族へは1円も支払っていないというのが明らかになっています。母親は少年Aに猫を撃つためのエアガンを購入したり、葬儀中、娘の死を目の当たりにできない女児の親に対して「最後やねんからちゃんと見たり。なんぎやなあ」と声をかけています。少年Aの犯行には親からのしつけや家庭面での事情が大きく関わっているという見解もあります。
まとめ
普通の中学生が行った酒鬼薔薇事件によって、マスコミに監視される形になる被害者家族や、少年法についての意見が幅広く出回ることになりました。少年法に守られている犯人について納得がいかないという声もあがり、マスコミや周囲からの迷惑を一身に受けることになる被害者家族について、司法側からの配慮もでるようになりました。