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紅白ラッパーSEAMO!売れたのはラッキー…現在は意外な〇〇!!


 

2005年に一躍人気者となり、翌年には「マタアイマショウ」「ルパン・ザ・ファイヤー」など大ヒット曲を連発。また、この年にはNHK紅白歌合戦にも出場し、2008年には日本武道館で単独ライブを果たすという、一流ミュージシャンの階段を一気に駆け上っていき、「次はドームツアーかな」そんな考えも当時は脳裏をよぎっていたというラッパーのSEAMO。

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しかし、そこからは苦難の連続。

 

SEAMO

 

 

スキャンダルを起こしたわけではなく、どんな仕事にも真面目に取り組んだ自負もあったといいます。しかし、セールスや動員は低迷していく…。

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「少しずつ、何かが噛み合わなくなっていった……そんな感じでした。それまでは、シングルを出せばすぐ上位にランクイン、『ミュージックステーション』は出演できて当たり前、みたいな時期があって。それが、だんだん“当たり前”じゃなくなっていくんです」

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SEAMO

 

 

特につらかったのは、レコード会社を移籍した2012年頃だったといいます。会社とコミュニケーション不足に陥り、マネージャーは頻繁な交代を繰り返す。

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「マネージャーがいない時期すらあった。孤独でした。とにかく、音楽を作りながら、じっと耐えるしかなかった」

やがてヒット曲が作れなくなったことの「責任者探し」が誰からとなく始まりました。

「『マタアイマショウ』以降は、曲に対して誰にも文句を言われない時期があったんです。あの曲は、当時目新しかったラブソングのラップで、みんなが売れないと予測するなか、結果、当たった。だから『SEAMOには何も言えません』みたいになって。だけど、売れなくなると、『あれがよくない』『あいつがよくない』って責任の所在を探り合うようになった」

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「僕自身も人のせいにしていたところはあります。やがて会社の人間も、『SEAMOにやらせているからダメなんだ』ってなって、どんなにデモテープを上げても、納得してもらえない。やらされている感覚にも陥って。どんどん、悪いほうへ転がっていきました」

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SEAMO

 

 

もう一度這い上がろうと、曲作りやボイストレーニングを地道に続けたSEAMO。
「何をやっても結果が出ない。一度登った山を下る……その現実を受け入れる作業は、とても残酷で、苦しいものでした。みんな頭がおかしくなっていくの、ここだろうな、って。一回極めた景色を見た後で下っていく、あるものがなくなっていくというのは……心がボキッと折れてしまう」

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「実際は、ラッキーの積み重ねだったんだろうと。ラブソングでメロディーがベースにあるラップの『マタアイマショウ』とか、『ルパン三世のテーマ』に日本語ラップをのせた『ルパン・ザ・ファイヤー』のアイデアは、“早いもの勝ち”だった。人々が欲しているタイミングでいち早く、時代の大きな追い風に乗れた。だけど、本当にそのポジションに立つための自分自身のスキルは足りなかったのかな、と今は思うんです」

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「ヒット曲を好きでいてくれた人はいたかもしれない。でも、楽曲、ライブ、パフォーマンス、すべてをひっくるめたSEAMOというアーティストは、武道館の客席数ほどの、本当のファンを獲得できてなかったのかな」

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年収は一時、絶頂期から比べると大幅に減少したといいます。それでも印税や楽曲提供もあり、「ただちに食えなくなるってことはありませんでしたよ」と苦笑。

 

SEAMO

 

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そんなSEAMO。実は、今や馬主としても知られた存在なのです。競馬との出会いは、大ブームになったオグリキャップがきっかけだったそうです。

「オグリキャップがデビューした地方競馬場は、僕の家のすぐ近くにあった。田舎出身の無名馬が、中央のエリートたちをバッタバッタと倒していくのは、本当にカッコよかった。なんとなく、僕らのヒップホップドリームと重なるものもあって」

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「共同馬主、一口馬主なんですよ。例えば、2000万円の馬がいるとして、400人で割ると、1口5万円。それくらいの金額で馬に出資ができて、毎週その馬の近況も得て、楽しむ。まあ、どっぷりハマっていきまして(笑)。そんなに多くは儲からないんですけど、馬が『見える』ようになっていくんです。そうすると、たまに当たりの馬も引けるようになったり」

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SEAMO

 

つらいことがあった時は、馬に逃げるようにしていたSEAMO。アップダウンの激しい自身の人生も、共同馬主という趣味に「救われた」といいます。現在は、「馬を見抜けるヒップホップアーティスト」として、唯一無二の地位を確立しつつあります。

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