数々のCMやドラマに出演し、歌手・女優として人気を博していた藤谷美和子ですが、なぜプッツン女優と言われるようになったのでしょう。数々の珍エピソードや奇行、現在の生活についてまとめました。
藤谷美和子の主な活躍とエピソード
1963年3月10日生まれである藤谷美和子は1975年から芸能活動を開始しました。1977年には初じめてのCM『カルビーポテトチップス』に出演。
1984年には大ヒット作品『心はいつもラムネ色』にてヒロイン役として抜擢されました。また、同年に放映された『海燕ジョーの奇跡』では日本アカデミー賞を受賞するなど、天才女優としての片りんを見せつけました。以後、女優活動とは傍らに1994年には歌手デビューも果たします。
そのデビューシングル『愛が生まれた日』では132万枚もの売り上げを記録するなど、幅広い才能も見せつけました。順調な芸能生活でしたが、突如2005年には芸能活動停止を発表することに。一体なぜ芸能活動を停止したのでしょうか。
藤谷美和子がプッツン女優と言われるようになった理由
天才女優と言われていた藤谷美和子でしたが、2003年頃から突然おかしな行動を起こすようになりました。その影響からドラマや映画の撮影をドタキャンすることに。奇行の多さから、国民からはプッツン(頭がおかしくなる様)女優と呼ばれるようになったのです。これこそ、まさしく芸能活動を停止した理由にもあたります。
中でも衝撃的だった出来事が結婚した時にした発言です。藤谷美和子は不敵な笑みを浮かべて「結婚しなきゃ離婚もできないじゃない」と発言しました。それはまるで離婚目的に結婚しているかのようで、常人には理解しにくい発言です。そんな行動を数多く起こしてきたため、周りからは『統合失調症』なのでは、という指摘も多くされるように。確かに、藤谷美和子の起こした行動を見ると、そう言われるのも納得いくかもしれません。
藤谷美和子が起こした奇行とは?
「結婚しなきゃ離婚もできないじゃない」発言も衝撃的ですが、それ以上に驚愕だったのが皇居での出来事です。藤谷美和子は当時、敷地内を警備していた警察官に対して開門を要求しましたが、理由も無く開ける訳にもいかず。
話を聞くと藤谷美和子は「紀宮さまは私の妹。お会いしてお手紙を渡したいのです」と言います。もちろん、これは全くの嘘で、警察官は開門を拒否しました。すると、それに反抗するようにして藤谷美和子は1時間もの間タクシー内に立てこもるという暴挙に出たのです。この奇行は様々なところで報道され、ここから徐々に『プッツン女優』という汚名がつけられていくようになったのです。
藤谷美和子の結婚と現在の生活
藤谷美和子は2005年に演出家の岡村俊一と結婚しました。あの離婚発言とは違い、現在も離婚はしていません。ただ、都内のひと駅離れた場所で別々に暮らすという『ひと駅別居』をしており、2人は年に2回しか会わないそうです。また、離婚をする気持ちは無いとのこと。生活の方は熱海のスナックで生計を立てているようで、芸能界復帰の目処はたっておりません。
ちなみに2012年にはミネラルウォーターを片手に街を徘徊する藤谷美和子が目撃されております。何故水だけを持っているのかというと「猫を綺麗にするため」だそうです。まだまだ奇妙な行動は無くなっていないのでしょう。
まとめ
藤谷美和子がブッツン女優と呼ばれる理由が分かったでしょうか。頭はおかしいとはいえ、統合失調症ならばそれは病気です。根本的に治せないものではなく、しっかり処置すれば治る可能性があるものです。なので、もしかするといつの日にか表舞台に戻ってくることもあるかもしれません。天才女優と言われていた藤谷美和子ですから、そんな日が来てもおかしくないでしょう。