尾崎豊さんといえば、今もその楽曲のメッセージが多くのファンに支持されていますが、26歳という若さで亡くなったことや、その謎めいた死因に疑問を抱く人も大勢います。若きカリスマはなぜ亡くなったのか、その謎に迫り、彼の遺伝子を受け継いだ息子さんについても触れたいと思います。
尾崎豊さんの人生
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尾崎豊さんは、1965年に東京都世田谷区で誕生し、練馬区で育ちました。小学校5年生の時に埼玉県朝霞市に引っ越しますが、学校に馴染むことが出来ませんでした。お兄さんが持っていたギターがきっかけで、音楽に触れるようになります。当時は、井上陽水さんの詞の世界に惹かれていたようです。中学生になって、練馬東中学校に越境入学し、生徒会副会長などをするものの、喫煙によって停学になったりしています。高校は青山学院高等部に進学しますが、喫煙や乱闘騒ぎなどで無期停学処分となり、これがオーディションを受けるきっかけになります。
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高校3年生でオーディションに合格し、デビューを果たします。その後、10代の若者の代弁者として、人気絶頂期を迎えますが、20歳になった頃から、方向性を見失い、活動停止してアメリカに渡ります。帰国した後も思うように曲が作れないことに悩み、覚醒剤取締法違反で逮捕されるなど、低迷期を迎えます。私生活では、一般人女性と結婚し、長男も生まれますが、1992年に、26歳の若さで突然この世を去ります。
尾崎豊さんの死と、それにまつわる疑惑について
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尾崎豊さんは、1992年4月25日の早朝に、自宅から500メートル離れた民家の軒先に全裸で、しかも傷だらけで倒れているところを発見されます。病院に運び込まれ、医師からは専門医に診てもらうように言われますが、妻と兄とともに自宅に帰ります。数時間後、容体が急変し、搬送先の病院で息を引き取りました。死因は覚醒剤中毒による肺気腫というものでした。しかし死因については、後に疑問が持ち上がり、尾崎豊さんの遺体に多数の傷があったことから、他殺ではないかとも言われました。結局、覚醒剤中毒者には、転倒したり、暴れ回ったりする異常行動が見られことが多くあり、尾崎豊さんの場合も、倒れていると発見される直前に、そういう状態だったという証言があったことなどから、他殺ではないと考えられています。
尾崎豊さんの息子が、尾崎豊さんに生き写し?
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尾崎豊さんは、若くしてなくなりましたが、1989年に生まれた息子の尾崎裕哉さんの歌う楽曲が、お父さんに生き写しだと話題になっています。実際には、尾崎豊さんが亡くなったのは、尾崎裕哉さんが3歳にもなっていなかった時なので、その存在も覚えていないわけですが、父親の楽曲や、父にまつわる書籍などを通して父親探しをしているようです。そうすることによって、父親に関する不穏な情報を知ることになりますが、それでも父親の意思を未来に繋ぎたいという思いから、その作業をやめないのだそうです。
これからも魂を揺さぶり続ける尾崎豊さんのメッセージ
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死から20年以上を経ても、なお、人々に愛される楽曲を作った尾崎豊さん。若くして亡くなったがゆえに、そしてその死に様ゆえに、今もなお人々から注目され続けています。息子さんによって、歌い続けられていくであろう彼の魂の叫びは、これからも私たちの心を揺さぶってやまないことでしょう。