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華やかな舞台の裏で…大沢逸美の過酷過ぎる介護人生とは?


シャープでクールな美しさと若々しいセクシーさで、歌手や女優として活躍した大沢逸美さんは、大人気ドラマに多数出演し、ボーイッシュな魅力でお茶の間を魅了しました。大沢逸美さんは、北海道出身で、170㎝のすらりとしたモデルのようなプロポーションとクールで魅力的な瞳、ショートカットで、かわいらしさを前面に出すアイドルとは一線を置いたかっこよさが人気で、レコード大賞新人賞も受賞しています。1982年のホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを受賞したことが芸能期入りのきっかけで、歌にドラマにと活躍し、20代後半からは舞台にも活動の幅を広げ、注目を集めていました。

 


写真:youtube.com/watch?v=AOfx7LJM1Rc

大沢逸美さんは、デビューから7年後に、父を突然のがんで亡くしています。母も糖尿病や白内障、リウマチ性関節炎になった上に、がんになってしまい、介護をしながらの芸能生活を送っていました。仕事の幅が順調に広がっていた大沢逸美さんは、名古屋など地方公演に出演した時でも、すぐに東京の自宅に戻って母の入浴介護をするなど、多忙な生活を送っていました。母の介護をがむしゃらに頑張っていたことで、共倒れになる寸前まで行き、そのことに気づくことができなかったと、後からコメントしています。point 325 | 1

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写真:last.fm

母の状態は非常に悪く、左のひざは人工関節が入り、自力歩くことが難しいことが多く、糖尿病のために目が白内障になり視力も低下したうえに、聴力も低下していました。体中にはがんが広がり、母のそばを離れることができない過酷な生活が11年も続いたのです。もともと母は体調不良で不自由な生活を送っていましたが、母の面倒は父が見ていたので、芸能活動をすることができていました。その父が、突然体調不良を訴え、わずか3カ月後にはなくなってしまったのです。母の面倒を見ることができるのは、大沢逸美さんだけとなったため、北海道の母を東京に呼び寄せ、介護生活が始まったのです。point 341 | 1

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写真:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

母との介護生活は、過酷を極めました。トイレやお風呂など、家の中での移動では、重たい母を抱えて引きずる状態であり、トイレでは、リウマチ性関節炎のために痛がる母を支えながら、何重にもはいているズボンや下着を脱がせて用を足し、再び下着と何重にもはいているズボンをはかせるため、一回のトイレに30分もかかったそうです。夜中にも2時間おきにトイレに連れていき、仕事にも行く生活を続けていましたが、母の病状は日に日に悪化し、介護のために家にいなければならない時間がどんどん増えていったと言います。仕事をセーブし、ついには介護に専念する状態になりました。point 358 | 1

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写真:pinterest.com

収入が減り、精神的にも追い詰められていきながらも、大沢逸美さんは介護を続けます。母が転移性のがんになったときには、発症した場所がすでに分からないほど体中に転移しており、意志も手が付けられないほどの末期状態でした。母は、手を動かすことも、目で見ることもほとんどできない状態で、遺言状を書き大沢逸美さんに残していました。そこには、これまでの苦労や父への感謝、そして娘である大沢逸美さんへの感謝の言葉が書かれていました。そして、娘である大沢逸美さんの将来の幸せを願う言葉が書かれていたのです。point 315 | 1

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写真:killy.biz

10年以上にわたる介護生活の経験を生かして、大沢逸美さんは、介護する人のサポートをする活動を行っています。講演会は、実体験をもとにした話が好評で、人気があり、また著書を出版したり、雑誌やテレビ、インターネットなどでのインタビューに応じるなど、介護関係の情報や介護をしている家族へのアドバイス、経験談などを発信しています。40歳をこえても、はつらつとした美しさと介護をやり遂げた経験を生かして、さらに活躍することが期待されています。point 283 | 1

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