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錦織圭は幼少期からテニス漬け!一般人には真似出来ない壮絶な努力まとめ



写真:inlifeweb.com

錦織圭と言えば今やテニスファンのみならず多くの人に知られている名前となりました。テニスの実績に加え柔らかな語り口調が好感が持てます。錦織圭は1989年島根県生まれ、父は土木系の技術者、母はピアノ教師、ともにスポーツ選手ではありません。しかしテニスは好きだったようで両親が知り合ったのもテニスの同好会だと言います。圭の名前は世界に羽ばたいたときに外国人にも言いやすい名前がよいと両親が願って付けた名前だということはあまりにも有名です。父親がお土産に買ってきた子供用のテニスラケットで遊び始めたのが5歳の時、父や姉と一緒に家の前で壁打ちを始め、やがて近くの公園のテニスコートでラケットを振るようになったと言います。6歳のときに県内のテニススクールへ入会し練習を始めます。point 399 | 1

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写真:asahicom.jp

この時に出会ったコーチは高度のテニス理論と指導力を兼ね合わせた人で、すぐに錦織圭のボールコントロールやゲームセンスがずば抜けて素晴らしいことに気づきます。両親は「子供には好きなことをやらせたい」という教育方針で、水泳やサッカー、ピアノや英会話と色々なことをやらせたようですが、テニスとサッカー以外は長続きしなかったと言います。サッカーは小学校高学年まで続けていたとのことで、テニスボールでリフティングする姿をよく見かけますが、サッカーをやっていただけあってかなりのテクニックの持ち主です。
2001年、彼が小学校6年生の時には全日本ジュニア選手権を含む三冠を獲得しています。小5の時に松岡修三との出会いもあり、今ではその名前が有名になった修三チャレンジという合宿に参加することになります。自分をアピールすることの苦手だった錦織圭はこの合宿で主にメンタル面の強化をしていきます。point 451 | 1

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写真:asahicom.jp

このころから段々テニスも本格的なものになってきます。2003年私設テニスファンドの審査に合格し、アメリカのテニスアカデミーの留学が決まります。錦織圭中2の時です。英語も分からない状態での単身留学を両親は送り出したのです。その時に合格した2人とともに渡米することになります。このアカデミーは学業とスポーツのトレーニングを組み合わせてアスリートとして人生の次のステップに踏み出す準備をおこなうことを目的とした世界的に有名な学校です。全寮制で4人部屋、日本人同士は同室にならないそうです。ここでの生活は毎日のトレーニングと学校の繰り返し、トレーニングもきつい、英語にも慣れない、食文化も違う。point 357 | 1

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写真:tennis365.net

ともに渡米した2人は2年くらいで帰国を決意します。錦織圭はホームシックにかかったと後に話していますが、帰りたいという気持ちはあっても、それよりも強くなりたいという気持ちが大きく勝り、1日8時間ともいわれるハードなトレーニングに取り組んでいきます。フロリダを拠点といてハードな練習を繰り返しながらジュニアサーキットを転戦していきます。渡米して3年、2006年には全仏オープンジュニアでシングルベスト8、ダブルスでは優勝という快挙を成し遂げます。2005年にはアカデミーのトップグループに昇格し専任コーチをつけてますます力を発揮していきます。point 335 | 1

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写真:thetennisdaily.jp

ついに2007年にはプロ転向をすることになるのです。プロ転向にあたって本人が一番に口にしたのは家族の温かい応援に対する感謝の言葉でした。
本人の努力は勿論ですが、ここに至るまでには人生を大きく変えるような人との出会いがいくつもあり、家族、テニススクールのコーチ、松岡修三、アメリカのアカデミーとの出会い等々、その中で懸命に前を見て進んで行った彼の強さには脱帽です。

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