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NHK会長の籾井勝人の経歴がスゴイ!


NHKというと受信料の是非が必ず言われます。テレビを設置したら、必ず受信契約をNHKと結ばないといけないという旨の放送法の内容には従わないといけないのかそうでなくてもいいのか。その件については現在各個人が訴訟を起こし、各裁判所で出されるであろう判決は、いつも必ず注目されるニュースとなります。さてそのNHKの会長は現在元三菱商事副社長の上田良一氏です。歴代の会長は皆すごい経歴の持ち主ばかりで驚くのですが、前NHK会長の籾井勝人氏も、輝かしいばかりの経歴の持ち主でした。

 

籾井勝人氏の世界的な略歴とは


写真:アメーバブログ

籾井氏は福岡県の出身です。
九州大学経済学部を卒業し、大手総合商社のひとつ、三井物産に入社しています。

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写真:九州大学ビジネス・スクール


写真:mitsui.com

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54歳で同社の取締役に就任、取締役鉄鋼原料本部長を経て、3年後にアメリカ三井物産の監督兼取締役として約2年間就任しています。

そして三井物産の専務、副社長にまで上り詰め、2005年大手IT企業である日本ユニシスに転身、

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写真:株式会社OSK

6年後の2011年まで取締役社長を務めました。

その他にアジアバトミントン連盟の会長なども務めました。

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写真:Naverまとめ

それから2014年から3年間という任期でNHK会長に就任しました。


写真:ライブドアブログ

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就任直後には慰安婦問題について発言、物議をかもしマスコミから非難を浴びることもありました。


写真:正しい歴史認識

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家族は4人ということです。奥様と2人の娘さんとは月に一度集まって食事会を開いているとのことです。大手企業に勤めているところは帰宅はいつも深夜が当たり前で、激務をこなしていたようです。それでも翌朝は朝食を家族と摂り、娘さんを中学校や高校まで車で送っていたということですから、やはり昭和時代のサラリーマンの体力には驚くものがあります。また家庭を顧みないイメージもありますが、家族をなによりも大切にしてきたことが伺われます。point 209 | 1

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社長時代に「もみいボックス」なるものを設置、社長に何か言いたいことがあればメールで直接相談できる仕組みを作ったといいます。
職場の悩みや会社全体の仕組みの改善提案などにも相談し、必ず返信したということですから人や意見を大事にする人柄であることが分かります。

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社長時代の籾井勝人氏の名言とは


写真:Naverまとめ

籾井勝人氏の日本ユニシス時代の名言では、「我々は設備投資に巨額のお金をかける業種ではありませんから、人にお金をかけるしかない」「エンジニアの心のケアは、突き詰めれば人と人とのコミュニケーションをいかに円滑にするか、ということが問われている」などがあります。

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やはり会社というものの最後の最後は技術や設備だけではなく、人が会社の良い悪いを決定してしまうことを言っています。


写真:city.kariya.lg.jp

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証明するように「政治の世界でも企業でも、我々日本人に必要なことは自主性で、個人個人が自分の持ち場をわきまえて、自分の役割をこなしていけば、必ず企業は良くなる」とも言っています。

そして近年発達してその利用が多くなっているクラウド・サービスについても、

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写真:コンピュータマインド社

所有する時代から利用する時代になると、今のクラウド・サービス使用形態を予言していました。

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サーバーやソフトウエアは技術的には企業で共通するところがたくさんあるのだから、それは必要なときに必要な分、提供してくれるところから活用し、その分だけの費用を払うという考え方です。ハードなどは設備はこちらが準備しますからどうぞ利用・活用してくださいという考えです。この、当時では斬新な考え方があったからこそ、その後のNHK会長就任のオファーがあったのだろうと推測します。

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蛇足ですがその考え方だとハードであるテレビはNHKが準備して、視聴したらした時間分だけの受信料の徴収が適切だろうと考えてしまいます。

 

まとめ


写真:楽天ブログ

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何かと物議をかもす発言でお騒がせした前会長でしたが、そのたび「僕はなにも間違ったことや、おかしいことは言っていないよ」ということを堂々と言うコソコソしない会長だったと思います。生まれた福岡の炭鉱町の大らかな風土が、経済人でありながら技術者のような、事実をもとに堂々とした発言を繰り返したのだと考えます。それでいて圧倒的な経歴の持っていて、よく途中で失脚しなかったなとも思います。あっけらかんとした発言を聞いていると技術者出身の人の発言かと感じてしまうのは、大抵の大物と言われる人達が持ち合わせている、明晰な頭脳とそれと同格な性格があったからでしょう。point 275 | 1

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