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昭和を代表する大スター・美空ひばり! 今も語り継がれる逸話とは!


今もなお、多くの人の心で輝き続ける美空ひばりさん。昭和の歌謡界を代表する歌手でありながら、波乱万丈な人生を送りました。今は亡き、歌謡界の女王・美空ひばりさんのプロフィールとエピソードをまとめてみました。

美空ひばり・プロフィール

愛称:御嬢
本名:加藤和枝
生年月日:1937年5月29日
死没日:1989年6月24日
出身地:神奈川県横浜市磯子区滝頭
出身校:精華学園高等部卒業
身長:147センチ
事務所:ひばりプロダクション

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1943年に父親が海兵団に入隊が決まり、その壮行会で歌を披露したことから「天才少女」といわれるようになり、それ以降、壮行会や慰問などに呼ばれるようになりました。
1945年に青空楽団を設立し、美空和枝名義で初舞台を踏みます。翌年には「のど自慢素人音楽祭」に出場しましたが、あまりにもうますぎたことが原因で、逆に合格することができませんでした。

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1947年に日劇小劇場「新風ショー」に「美空ひばり」名義で出演し、初めて自分の歌を披露します。同年には初主演となる映画に出演し、劇場内で歌った曲と映画は大ヒットとなり、スターの仲間入りを果たしました。

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■一度は再起不能にまで陥った美空ひばり!

1987年の全国ツアー中に、足腰の付け根の痛みと慢性肝炎が原因で緊急入院することになった美空ひばりさん。死の淵をさまよったものの、なんとか一命をとりとめ、3カ月の入院を余儀なくされました。
一時は再起不能とまで報道されましたが、強靭な精神力でリハビリに挑み、復帰を果たしました。退院後会見を開き、復活コンサートをすることを約束。1988年4月に復帰公演「美空ひばり~不死鳥コンサート」が東京ドームで開かれました。point 275 | 1

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美空ひばりさんは完治したようかに見られましたが、実はこのとき控室にベッドと酸素ボンベを用意しており、いつ倒れてもいいように医師を待機させた壮絶な状況でした。
鬼気迫るその姿は、まさに不死鳥のようだったと、今も伝説のコンサートとして語り継がれています。

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■近藤真彦との逸話

美空ひばりさんには数々の逸話が残されていますが、中でも有名なのが近藤真彦さんです。
歌番組に出演した際、美空ひばりさんに対して「おばさん、歌うまいね」といった逸話がありますが、本当なのでしょうか。
近藤真彦さんによると、当時はリハーサルのときに歌手の代役をたてていることが多かったため、まさか美空ひばりさんが歌っているとは思っていなかった様子。思わず周りのスタッフに、「あのおばさん歌うまいね~」といったところ、場内が静かだったため、本人の耳に届いてしまったようです。
すぐに楽屋に謝罪しにいった近藤真彦さんですが、怒られるどころか、当時15歳だった近藤さんが聞いて、うまいといってくれたことのほうが嬉しかったといってくれたそうです。point 373 | 1

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■まとめ

美空ひばりさんの訃報の一報は、当時、日本中を悲しみに包みました。華やかな芸能生活を送る一方、病気との戦いの中で壮絶な人生を生きた美空ひばりさん。これからも私たちの胸の中で生き続けることでしょう。

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