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細田守監督の代表作「サマーウォーズ」を超える名作があった?!


2009年「サマーウォーズ」や2012年「おおかみこどもの雨と雪」でおなじみの細田守監督は1967年生まれ、富山県出身です。サマーウォーズで広く知られるようになりましたが、実はそれ以前にも長編アニメを監督しています。意外にも苦難の連続だった細田守監督の足跡を見ていきましょう。


写真:cdnx.natalie.mu

子どもの頃からアニメが好きだった細田監督は、なんと高校1年生の時に自主制作していたアニメで東映動画(のちの東映アニメーション)にアニメーターとして合格しています。この時は学業優先ということで断念していますが、幼いころみたアニメに強い影響を受けるだけでなく、自分も作りたいという情熱を燃やし続けたその実力は折り紙付きといえます。大学卒業後、スタジオジブリの最終選考まで残りましたが、不採用となりました。しかし、宮崎駿監督が直筆で「君はジブリに向いていない」と不採用通知をかいた二人のうちの一人ということで、才能はあっても「ジブリ的ではない」ということだったのかもしれません。point 354 | 1

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写真:kai-you.net

その後縁のあった東映動画にアニメーターとして入社し、OVAやアニメ映画の作画監督補佐などを経験しました。東映社内での演出家採用試験に合格し、1999年に「劇場版デジモンアドベンチャー」の監督に大抜擢されます。その評判をうけ、TV版21話も演出監督として参加したのち、2000年に「劇場版デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム!」を監督しています。

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写真:tiff-jp.net

実は、この劇場版デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲームがかなりクオリティが高く、サマーウォーズの中で描かれているOZの世界とよく似た空間描写が用いられています。デジタル技術も月単位でレベルが上がっていっていたあの時代、逆に言えば2000年当時でこれだけの描写力は素晴らしいとしか言えません。21世紀に入る前に、一足飛びにアニメが進化した作品だったといえます。

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写真:mantan-web.jp

「脱ジブリ的」を模索中だったスタジオジブリは、2000年に細田監督を「ハウルの動く城」の監督として招聘しました。この時、細田監督は念願だったジブリサイドからのオファーが大変うれしかったと述べています。ところがジブリ側のスタッフとうまくいかず、またプライベートでも家族が病に倒れたりするなど、順調には進みませんでした。ついに鈴木プロデューサーが「細田をおろし宮崎でいく」と決断し、細田監督はハウルの動く城から降板することになりました。細田監督は非常にショックだったものの「ジブリの外から自分を呼んだということは、脱ジブリ的なものを求められていると思っていた。しかし、ジブリの側から降板を言い渡され、自分の仕事はやはりジブリ的ではなかったんだと思った」と述べています。point 398 | 1

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写真:ameba.jp

2005年「ONE PIECE THE MOVIEオマツリ男爵と秘密の島」の監督を最後に東映をやめ、フリーとなった細田守監督が作ったのが「時をかける少女」でした。当初単館上映だったこの作品は口コミで評判が広まり、9か月後にDVDが発売されるまで各地でロングラン上映されました。まさに起死回生の一手となった「時をかける少女」はジブリ発ではない本格的な長編アニメ映画の幕開けにふさわしい1本と呼ぶに値する作品となりました。「時をかける少女」「サマーウォーズ」の興行的な成功から、長編アニメ映画の製作へのハードルが下がり、有能なアニメーターや監督たちにより良作が次々に生み出されています。point 349 | 1

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