お后候補は…
1989年当時、日本メディアの間でこの国の未来の天皇になる人のお后候補は誰なのかと話題になりました。当時29歳の皇太子・浩宮様のお后様です。そしてそのお后候補の筆頭に選ばれていたのが雅子様(当時・小和田雅子)です。
ミドルエッジ
雅子様は外務省の研修生だったのですが、英国のオックスフォードに留学していました。そこへある日本人記者が、雅子様に真実を確かめるためオックスフォードへ行き、数日間張り込みました。しかし、待てど暮らせど何の情報も聞き出せず。しびれを切らした記者は、雅子様にこんな手紙を出したそうです。「電話で話してくれれば、もう付きまといません」と。
1989年当時、日本メディアの間でこの国の未来の天皇になる人のお后候補は誰なのかと話題になりました。当時29歳の皇太子・浩宮様のお后様です。そしてそのお后候補の筆頭に選ばれていたのが雅子様(当時・小和田雅子)です。
雅子様は外務省の研修生だったのですが、英国のオックスフォードに留学していました。そこへある日本人記者が、雅子様に真実を確かめるためオックスフォードへ行き、数日間張り込みました。しかし、待てど暮らせど何の情報も聞き出せず。しびれを切らした記者は、雅子様にこんな手紙を出したそうです。「電話で話してくれれば、もう付きまといません」と。
その数日後、雅子様から記者に電話がかかってきました。雅子様はとても礼儀正しく対応してくれたそうです。しかし、皇太子様との事は一切何も話さなかったのそうで、たった一言「外務省は辞めません」とだけ言いました。この発言に記者は小和田雅子は皇太子と結婚はしないという大スクープだと思ったそうです。
四年後の奇跡
雅子様は翌年1990年6月に日本に帰国しました。外務省北米2課に配属された雅子様はとてもよく働きました。しかし、その2年後の1992年に浩宮様と再会し、その年の内にご結婚なされました。「外務省は辞めません」と言っていた雅子様に一体何があったのでしょうか。
とある番組の中で、浩宮様が「僕が雅子を一生、全力でお守りします」と仰っていました。浩宮様は雅子様へのプロポーズの際にもこの言葉を送ったそうです。外務省を辞めたくなかった雅子様ですが、日本の未来の天皇になる人にこんな素敵な言葉を言われたら、断れなかったのでしょう。紛れもない浩宮様の愛の勝利です。
それからのお2人
雅子様はその後、体調を崩され長い闘病生活を送られましたが、2001年には愛子さまも誕生しました。しかし、一般者であった雅子様をよく思わない人もいたようで、2004年のある会見で浩宮様が「雅子の人格を否定するような発言があった」と宮内庁批判と天皇皇后両陛下を含む皇室批判をしました。皇太子夫妻は少なからず追い込まれていました。けれどもその後、宮内庁関係者が「頭のいい方なので段々と認められてきました」と話していたそうで、本当のところはちゃんと評価されているのでしょう。
日本の象徴
ご結婚後も浩宮様はプロポーズの言葉を雅子様に行動し続けているというのがよく分かります。今後もお二人は仲睦まじい姿を私たちに見せてくれることに違いないですし、日本国民に愛される素敵な天皇皇后両陛下になる事でしょう。