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格闘家・山本“KID”徳郁ががんのため死去、お悔やみ申し上げます


格闘家の山本“KID”徳郁(のりふみ)が18日、がんのため死去し、芸能界で哀悼のメッセージが多く寄せられています。今回はそんな山本“KID”徳郁の生い立ちについて紹介していきます。

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山本“KID”徳郁プロフィール


写真: gigazine.net

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本名: 岡部徳郁

生年月日: 1977年3月15日

出身地: 神奈川県

身長: 163cm

血液型: B型

 

山本“KID”徳郁の生い立ちまとめ


写真: www.buzzfeed.com

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日本を代表するレスリング一家に生まれる


写真: mdpr.jp

1977年3月に、ミュンヘン五輪レスリング日本代表選手であった山本郁榮(いくえい)の長男として生まれてきた山本“KID”徳郁は、郁榮さんの果たせなかった五輪金メダルの夢を果たすべく、5歳の時からレスリングを始めます。ちなみに山本家は、母・山本憲子も「日本女性初のレスリングの審判員」という肩書を持つ人物だった他、の山本“KID”徳郁の姉である山本美憂や妹・山本聖子も幼少期よりレスリングに打ち込むレスリング一家でした。余談ながら、山本“KID”徳郁の本名である岡部徳郁の由来は憲子さんの旧姓らしく、母親が一人っ子だった都合上、母方の実家の家系を絶やさないために岡部姓を名乗ることを決意したそうです。point 379 | 1

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姉はレスリング選手の山本美憂


写真: efight.jp

姉の山本美憂は、1990年代に世界選手権3度の優勝と1度の準優勝を誇る伝説的な選手に育ちますが、女子レスリングが五輪競技に採用されたのが30歳となる2004年からという巡り合わせの悪さにより、五輪出場未経験に終わっています。山本美憂は、1番目の夫である元サッカー選手・池田伸康との間に長男を出産した他、3番目の夫であるアルペンスキー元日本代表選手・佐々木明との間にも次男と長女を生んでいます。しかしその後佐々木明とも離婚。バツ3の身の上となりました。point 302 | 1

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妹の山本聖子もレスリング選手


写真: thepage.jp

妹の山本聖子に関しても、1990年代後半から2000年代前半にかけて、世界選手権4連覇という偉業を達成しておりますが、肝心の2004年のアテネ五輪では、代表選考会にて吉田沙保里に破れて、五輪出場を逃すことになりました。山本聖子も、1番目の夫であるハンドボール元日本代表選手・永島英明との間に長男が生まれた後離婚し、2番目の夫であるMLB選手・ダルビッシュ有と再婚しています。現在の山本聖子は、ダルビッシュ有との間に次男と三男が誕生している状況です。point 302 | 1

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アメリカ留学を果たす山本“KID”徳郁


写真: geinouplus.com

そんなレスリングにすべてを捧げる子供時代を過ごしてきた山本“KID”徳郁は、高校時代には、レスリング大国であるアメリカへの留学も経験しています。アメリカ時代もレスリングで活躍をし、アリゾナ州王者にもなった山本“KID”徳郁の元には、アメリカの大学から特待生枠でのスカウトなどもあったようですが、山本“KID”徳郁は大学進学を機に日本へ帰国する道を選択肢し、山梨学院大学へ進学します。

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五輪出場を逃したことをきっかけに総合格闘家に転身


写真: endia.net

大学時代の山本“KID”徳郁は、「全日本学生レスリング選手権大会」で優勝するなど、トップアマとしての実績を残していましたが、1999年の「全日本レスリング選手権大会」では準優勝に終わり、シドニー五輪出場を逃すなど挫折も味わっております。その一方で、姉・山本美憂から総合格闘技のビデオを見せられたことをきっかけに、レスリングの世界以外への関心も抱くようになっていた山本“KID”徳郁は、山梨学院大学を中退してプロの格闘家を目指すこと決意しました。山本“KID”徳郁の総合格闘家人生にとって大きな転機となったのが、2004年より格闘技団体「K-1」へ参戦したことでした。地上波のテレビ中継のあるメジャー団体のリングに上がることとなった山本“KID”徳郁は、一躍全国区の人気を得ることに成功します。point 433 | 1

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2006年にはレスリング界に復帰

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写真: www.point 74 | japan-wrestling.point 90 | org
総合格闘家として大成功を収めていた山本“KID”徳郁でしたが、2006年にプロ格闘家としてのキャリアを一旦休止し、北京五輪出場を目指してレスリング界への復帰を果たしました。山本“KID”徳郁がレスリング界に復帰した理由に関しては、父や姉たちとの食事中に何気なく「アマレスに復帰しようかな」と軽口を飛ばしたところ、大喜びをされてしまったことがきっかけだったようです。当時の年収が1億5000万円とも噂されていた立場を捨てて、レスリング界への復帰を決めた山本“KID”徳郁の決断は大変な反響を読んだものの、かつては日本のお家芸と呼ばれていた男子レスリング界はそれほど甘い世界でもありませんでした。2007年1月に行われた「全日本レスリング選手権」の2回戦にて、右肘を脱臼する負傷を負い敗退したKIDさんは、その後も怪我の回復が遅れ、北京五輪出場を逃すという憂き目にあいました。point 479 | 1

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怪我のため実質引退状態に陥った山本“KID”徳郁


写真: geinouneta.com

山本“KID”徳郁は北京五輪への出場を逃した後、2008年より総合格闘技団体「DREAM」に参戦した他、2011年からはアメリカの総合格闘技団体「UFC」にも参戦しました。しかしながら、30代以降は大きな怪我に悩まされ続けた山本“KID”徳郁は、「DREAM」参戦以降は満足の行くキャリアを築くことが出来ずに、現在は総合格闘家を実質引退状態に。山本“KID”徳郁の近年は各種ジム運営に勤しんでおり、指導者や実業家としてのセカンドキャリアを送っていました。point 319 | 1

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山本“KID”徳郁の結婚遍歴

1回目の結婚: MALIA(2005年~2009年)


写真: twinkle-little-star.com

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山本“KID”徳郁は2005年にモデルのMALIAと結婚。MALIAはパキスタン人の父親を持つハーフとなりますが、山本“KID”徳郁との交際がスタートした2004年時には、横浜マリノスに所属していたサッカー選手・田中隼磨(はまゆ)と結婚をしていた上、子供まで生まれておりました。もちろん、当時のMALIAさんは田中隼磨との金銭感覚や生活感覚の不一致という、俗に言う「性格の不一致」により別居中の身でもありましたが、形式上は山本“KID”徳郁がMALIAと不倫略奪婚をしてしまった形となります。山本“KID”徳郁とMALIAはどうやらできちゃった婚でもあったようで、同年に長男(MALIAにとっては次男)である愛郁(あいく)くんが生まれております。続く2006年には長女のありあちゃんも誕生するなど、新婚早々に子宝に恵まれた山本家でしたが、山本“KID”徳郁はMALIAの連れ子である海鈴(かいり)くんも分け隔てなく可愛がるなど、良きパパぶりを発揮していたようですね。point 433 | 1

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写真: jisin.jp

そんな子宝にも恵まれた山本“KID”徳郁・MALIA夫妻ですが、結婚5年目となる2009年に離婚をしており、子供たちの親権はMALIA側が持つこととなっています。離婚原因に関しては、MALIAによると、山本“KID”徳郁の「浮気と金銭感覚の違い」が離婚の大きな理由になってしまったとのことです。

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2回目の結婚: 一般女性(2011年~)


写真: clowns-news.com

MALIAとの離婚後の山本“KID”徳郁さんですが、2011年11月28日になると、一般女性のゆいさんと極秘再婚をしていたことをinstagramにて発表しています。山本“KID”徳郁が極秘再婚の事実を明かした理由は、第三子にあたる次女の千ちゃんが生まれたことをファンたちに公表したかったからのようです。山本“KID”徳郁は2012年4月に都営浅草線五反田駅構内にて、ホームから転落した老人を助けたことでも知られています。実はこの騒動の時に、山本“KID”徳郁はゆいさんとデート中でもあったようです。point 338 | 1

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9月18日に胃がんのため死去


写真: www.sponichi.co.jp

ジム「KRAZY BEE」の公式ツイッターが18日に、山本“KID”徳郁の訃報を報告。芸能界から哀悼のメッセージが相次いでいます。

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がんを公表していた山本“KID”徳郁


写真: www.instagram.com

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山本“KID”徳郁は以前に自身のinstagramにて「私事で急なご報告となりますが、私山本KID徳郁はガン治療のために頑張っています」とがんを公表。「絶対元気になって、帰ってきたいと強く思っていますので温かいサポートをよろしくお願いします!」とつづっていたが、願いが届くことはありませんでした。

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がん公表前から激やせし心配の声が相次いでいた


写真: entert.jyuusya-yoshiko.com

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近年の山本“KID”徳郁はレギュラー出演していたAbemaTVの「格闘技代理戦争」にて激やせした姿で登場し、視聴者の間では、がん公表以前から体調不良説が囁かれていました。2018年6月に、クラウドファイティングサイト「CAMPFIRE」を利用して出資者を募集していた「“神の子”山本“KID”徳郁と一緒に未来のチャンピオンを発掘する」のプロジェクト中止が発表された際にも、ネット上では山本“KID”徳郁の重病説が囁かれていたりもしました。point 219 | 1

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まとめ


写真: anohito-genzai.com

以上、山本“KID”徳郁の生い立ちから結婚、死去までをまとめていきましたが、格闘界に様々な偉業を残してくれた山本“KID”徳郁をファンは一生忘れることはないでしょう。ご冥福をお祈りいたします。

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