1996年に小室哲哉さんのプロデュースによりリリースした『I’m proud』がミリオンセラーで大ヒットとなった歌手の華原朋美さん。1990年代を代表する女性ソロアーティストの1人ですが、なかなかの波乱万丈人生を送っています。最近でもとあるトラブルに遭っていたようです!
昨年9月長年所属した事務所を退所した華原朋美さん。今年2月には週刊誌のインタビューで、《フリーになって大変なことは、人に頼れないことですね。今まで事務所がやってくれていたことを自分でやらなくてはならない。(中略)細かいことまで自分で決めなくてはならないので、本当に大変です》と語っていました。
そんな華原さん、“ある女性”によってもたらされたトラブルに遭っていたようなのです…..
その、“ある女性”とはやしきたかじんさんの後妻である家鋪さくらさん。さくらさんは今年の1月から約1か月間華原さんのマネージャーを務めていたそうで、その短い期間にいろいろと面倒なことを起こしていたというのです!
たかじんさんといえば、『やっぱ好きやねん』をヒットさせた歌手でありながら『たかじんのそこまで言って委員会』などの人気番組の司会で知られる“関西テレビ界の帝王”と呼ばれていました。しかし2014年1月に食道がんで死去。
その後、『海賊とよばれた男』などで知られる作家の百田尚樹氏がたかじんさんの闘病生活を描いた『殉愛』を出版。発行部数が30万部を超えるベストセラーになりました。
同書では、32歳年下の妻・さくらさんが、“献身的な看病でたかじんさんに人生を捧げた”と描かれていましたが、後にさくらさんのネガティブな話題や重婚疑惑が報じられました。
当初からさくらさんは遺産目当ての結婚という疑いがささやかれており、それに加えて、同書にはたかじんさんの長女や元マネージャーが“金に汚い悪意ある人物”として書かれていたため、事実と異なるとし名誉毀損やプライバシー侵害をされたとして、たかじんさんの長女が、出版元の幻冬舎に、出版差し止めと1100万円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こすなど係争が繰り広げられました。その結果、版元が続けて敗訴するなど信憑性がなくなり実写化の話もボツに…。
そんなさくらさんが、なぜ華原さんのマネージャーになったのか…。関係者の話によると、とある大手出版社社員の紹介で2人は知り合ったそうです。
さくらさんは“一緒に動画制作を行っている”と何人かの有名人の名前を持ち出して、信頼を得たようです。華原さんはさくらさんがたかじんさんの後妻だと知らなかったようで、また芸能活動を再始動し始めた頃だったこともあり、さくらさんに頼ることにしたようです。
2021年1月、華原さんの正式なマネージャーになったさくらさん。しかし早々に様々な問題が…..
さくらさんは華原さんの所有するマンションの売却を執拗にすすめるなど、お金がらみの不審な行動が目立っていったそうです。さらに、さくらさんは華原さんのもとで動画制作を請け負っていたものの、制作費として相場よりだいぶ高い金額の請求があったのだとか。
華原さんは周囲の人に“あの人は危ない”と言われて、警戒心を持ち始め、動画の製作費の件もありぬぐい切れない不信感から、就任からわずか1か月ほどで関係は解消されることに。
しかし、その後もトラブルは続きます…
華原さんが投稿した動画の収益がいつまでたっても振り込まれなかったので、スタッフが不審に思い、振込先を確認すると、華原さんのスタッフではない何者かに指定されていたというのです。おそらく時期的にさくらさんの仕業ではないかと言われています。
また、さくらさんが華原さんに近づいたのにはある“狙い”があったようです。
華原さんには過去に小室哲哉さんが手がけた楽曲の歌唱印税や、親族に会社の経営者もいることからそれに興味を持ったさくらさんが資産を狙っていたのではないかと言われています。
現在の華原さんの窓口となっている男性の話によると、さくらさんが華原さんのマネージメントを行っていたのは事実だと認めており、金銭要求の詳細に関しては、回答を濁しています。
一方、さくらさんはこの件の電話取材に対し、「取材には、いっさい応じません」とコメント。『殉愛』以降さまざまな疑惑が報じられたさくらさん。今後もまた何かしらのトラブルを招くかもしれませんね…。









