高倉健さんが生涯唯一愛した女性と言われる江利チエミさん。一体ふたりはどのように愛し合い、どうして別れてしまったのかについて詳細に調べてみました。知られざるエピソードについても記しています。
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今改めて振り返る、高倉健の結婚生活
高倉健さんが結婚したのは彼が28歳のとき。お相手の江利チエミさんは6歳下の22歳。江利チエミさんが母のように慕っていた清川虹子さんが高倉さんに「チエミを何とかしてあげなさい」と告げたことで決断し、付き合うようになったそうです。しかし高倉さんがほとんど家に帰ってくることはなく、新妻の江利チエミさんは寂しさを紛らわすために毎晩アルコールを飲んでいました。
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高倉健さんと言えば「不器用な男」というイメージが強くあります。それは実生活でも同じで、彼にとっては新婚生活を満喫することも難しかったのかもしれません。結婚してから12年が経過したときにふたりは離婚という選択をします。江利チエミさんはアルコール依存症だったと言われており、45歳の若さで亡くなりました。酩酊した際の嘔吐物が喉に詰まったという死因は、切なすぎます。もしも高倉健さんがしっかりと愛情表現をしていたら、そういった結末を避けれたと思った人も多いのではないでしょうか。
健さんに子供はいたのか?
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結婚から3年が経過したときに、江利チエミさんが妊娠します。子宝に恵まれたと思ったら彼女は妊娠高血圧症候群に罹患してしまい、涙の中絶を決意。誰よりも子供を欲しがっていた江利チエミさんからすると、立ち直れないほどのショックを受けたことは想像に難くありません。「子はかすがい」という言葉があります。もしもこのとき、お子さんが無事に生まれていたら、ふたりが離婚をしなかった可能性があります。運命というのはときに残酷な結果をつきつけるものなのですね。
健さんに舞い込んだ再婚話
石原裕次郎さんが女性を魅了するスターならば、高倉健さんは男受けするスターでした。しかしそれは女性に人気ないというわけではありません。いつまでもダンディーであり続ける高倉健さんに惚れこみ、アプローチしてくる女性もかなりいたのだとか。名前は明かされていないものの、その中に超大物女優が含まれていたと言われています。度重なる求婚に対し、彼は一度も首を縦に振りませんでした。
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それは離婚した江利チエミさんのことを実は愛し続けていからはのではないかと言われています。思いを言葉にすることを避け続けてきた彼ですが、その行動を見れば江利さんへの気持ちが伝わってきます。1970年の1月21日に世田谷にある高倉健さんの家が全焼しました。原因は漏電であったと言われていますが、そのときふたりはまだ結婚生活を続けていました。高倉健さんは離婚後に全焼した土地に2億円の豪邸を建てて、そこへ住み続けました。愛した元妻のお墓がその家から200mほどのところにあったから、その場所を選んだと言われています。江利チエミさんの命日になると、彼はこっそりと手を合わせに彼女のお墓を訪れていたそうです。亡くなった彼女の存在をずっと身近に感じていたかったのでしょう。
まとめ
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日本の文化では亡くなっても人は、生き続けるという感覚があります。お盆になればあの世から故人が帰ってきますし、お墓の前に行けば亡くなった人を近くに感じることができます。高倉健さんがこれだけたくさんの人に愛されたのは、彼が極めて日本的な感覚の持ち主だったからなのではないでしょうか。西洋人男性は恥ずかしがらずに愛を告げることができます。しかし日本人の男性はどうしても、そういったことをするのが苦手。「不器用すぎる男、高倉健」は日本人男性の憧れであり、共感できる存在だったのかもしれません。