小林旭といえば、石原裕次郎と共に日活映画の黄金時代を築いた昭和の大スターです。
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同じく昭和の歌姫であった美空ひばりと結婚したことでも知られており、マイトガイという愛称で親しまれています。東京都世田谷区の出身で、子役時代を経て第3期日活ニューフェイスに合格しました。1956年に「飢える魂」という作品で映画デビューしています。その後、1958年に公開された映画「南国土佐を後にして」で脚光を浴びました。小林旭の代表作には、映画「渡り鳥」シリーズや「旋風児」シリーズがあります。
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また、小林旭は1958年に歌手としても「女を忘れろ」という曲でデビューしています。映画「渡り鳥」シリーズや「旋風児」シリーズの主題歌や挿入歌を歌い、ヒット曲となりました。1962年には当時、既に大スターであった美空ひばりと結婚しています。交際を始めた当初はまだ結婚するつもりはなかったものの、美空ひばりの方が熱心だったため結婚に至ったということです。小林旭は美空ひばりについてトーク番組で、「ひばりは懸命によき妻を演じようとし、女としては最高だった。」と語っています。しかし、この結婚生活は長くは続きませんでした。別居期間を経て、2年ほどで離婚となっています。美空ひばりの母が小林旭を気に入らず、入籍はせずに事実婚状態が続いていたこともその原因と言われています。その後、小林旭は女優の青山京子と1967年に再婚しています。1972年には東映に入社し、映画「仁義なき戦い」シリーズにも出演しました。また、「京阪神殺しの軍団」といった実写映画や「多羅尾伴内」のリメイク作品にも出演しています。「多羅尾伴内」はシリーズ化される予定でしたが、興業が振るわず打ち切りとなっています。
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そんな小林旭でしたが、事業の失敗が重なって多額の借金を背負うことになってしまいました。まず、自らが主宰するアロー・エンタープライズが制作して自身が主演したテレビドラマが失敗に終わってしまいました。それからゴルフ場開発にも投資しましたが、客が思うように集まらずに多額の負債を抱えることになってしまいます。大のゴルフ好きであった小林旭は、プロゴルファーでも攻略に困るようなコースをつくりたいとの思いから難コースのゴルフ場にしたといいます。それが皮肉なことにに、多くの人から敬遠される原因となってしまいました。小林旭が抱えた借金は、14億円にも上ったと言われています。借金問題はそれだけでは終わりませんでした。その後も不動産投資に失敗してしまい、さらに借金が膨らんで数十億もの負債を抱えることになったと言われています。
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しかし、小林旭が凄いのは、その借金を全て完済してしまったことです。莫大な借金を抱えた際にどうやって返済するのか尋ねられた小林旭は、「歌って返すしかないだろ。」と答えたといいます。その言葉通り、キャバレー周りなどの営業の仕事も断らずに自身の歌を売り込み、それがヒットして借金完済につながりました。
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小林旭の代表曲は「昔の名前で出ています」で、その曲で1977年にNHKの紅白歌合戦に初出場を果たしました。NHK紅白歌合戦には、1996年まで7回出場しています。1980年にはフジテレビ系列の時代劇ドラマ「旅がらす事件帖」に初主演しました。「旅がらす事件帖」では主題歌の「みだれ雲」も歌っています。1985年には、大瀧詠一が書き下ろした「熱き心に」という曲がCMソングとして起用され、ヒットしました。2004年には、芸能生活50周年を記念した「熱き心に」という本を出版しています。この本には若い頃を振り返って綴ったこれまでの人生や石原裕次郎、美空ひばりについてなども書かれています。