鶏卵素麺という文字を見て、この実体を想像できる方は余り多くはないでしょう。この名の通り、ニワトリの卵を使っている事は、なんとなく分かります。でも素麺が付いているということは、卵を入れた素麺なのか。九州の出身の方ならば、「あぁ、あれか」とすぐに納得されるでしょう。さて、この鶏卵素麺という面妖な名を持つ商品は一体なにものなのか、そのなぞに迫ってみたいと思います。知ったらあなたも興味を持たれるはずです。
鶏卵素麺はポルトガルからの伝来品
写真:マイング
鶏卵素麺はポルトガルから伝来した、南蛮菓子と呼ばれるお菓子です。またの名を玉子素麺とも呼ばれ、ポルトガル語では「フィオス・デ・オヴォス(Fios de ovos)」(たまごの糸)と呼ばれます。ポルトガルではそのままで食べるほかに、ケーキのデコレーションとして利用されることがあります。
ポルトガルの「やつめうなぎの玉子」というケーキには主要な材料として、この鶏卵素麺が大量に用いられます。鶏卵素麺の作り方は氷砂糖を溶かして沸騰させた蜜に、卵黄を溶いた液を底に小さな穴が開いたステンレスの器具で、素麺のように卵液を回しながら注いでいきます。煮えて素麺のように固まったところで、菜ばしとしゃもじを使い形を整えて引き上げ、冷まして切りそろえます。
写真:世界の郷土菓子を巡る旅
この菓子は福岡市の銘菓とされていて、ほかに大阪市の鶴屋八幡や高岡福信、それに京都市の鶴屋鶴寿庵などの老舗でも作られています。ポルトガルから日本へと伝わったのは安土桃山時代で、場所は南蛮貿易のために遣って来たポルトガルの商人が出入りしていた長崎の平戸でした。日本で最も古い菓子としても知られていて、江戸時代の初期に刊行された「料理物語」の菓子部にも「玉子素麺」として製法を記載されています。日本人が本格的にはじめて作ったのは、江戸時代の松屋利右衛門でした。
伝統だけではない菓子
写真:呑弾庵(どんびきあん)
松屋利右衛門が鶏卵素麺と出合ったのは、貿易商の大賀宗九と共に出島を訪れたことからはじまります。この時に、中国人の鄭から作り方を伝授され、1673年に博多に戻った利右衛門が販売を開始しました。その後、福岡藩主であった黒田光之に鶏卵素麺を献上したことで御用菓子商となり、時代は流れて1957年には十一代利右衛門松屋菓子舗が作る鶏卵素麺は、日本三大銘菓の1つに選ばれるまでになりました。
この鶏卵素麺はポルトガル以外にも、植民地であったブラジルやマカオなどにも伝えられ、作られています。また、ポルトガルの隣国のスペインや、その植民地であったメキシコにも伝わっています。スペインでは「紡いだ玉子」を意味する「ウェポ・イラド」と呼ばれ、タイランドでは「フォーイ・トーン」(金の糸)と名づけられています。タイでは現代でも銘菓として好まれていますが、作り方は鶏卵でなく金色が濃くなるのでアヒルの玉子が使われます。また、ジャスミンやニオイタコノキで香りを付けたシロップで調理されます。カンボジアではワウィーと呼ばれます。
写真:マイング
鶏卵素麺は結婚式や晴れの日のお菓子として用いられ、いまでも九州のお土産としても選ばれています。その甘さは鳥肌が立つほどと表現されるくらいですが、くどさは無く口の中でさらりと消えてしまいます。
まとめ
写真:Wikiwand
九州の銘菓というと、カステラやおまんじゅうが有名です。でも、この鶏卵素麺は隠れた銘菓といえる存在ではないでしょうか。口に含むとやわらかな玉子の香りがふわりと広がり、サクサクとした食感とパラリと解ける面白さがあります。蜜で煮ているのですから甘いお菓子ではありますが、上品な甘さで意外とすっきりしています。後味は舌に残る嫌味な甘さではなく、潔いとさえいえます。濃い目のお茶と一緒にいただけば、あとを惹く旨さに止められなくなります。