3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎によりこの世を去ったタレントの志村けん。生前に語っていたとされる「理想の最期」のエピソードが今になりクローズアップされているとのことですが、生涯お笑いを愛していただけに、そのエピソードを聞いた際には考えさせられるものがあります。
志村けんプロフィール
本名: 志村康徳
生年月日: 1950年2月20日
出身地: 東京都
身長: 166cm
血液型: A型
志村けんの「理想の最期」とは?
3月29日にこの世を去った志村けん。生前語っていた「理想の最期」のエピソードが今になり話題になっています。志村けんの訃報により、今でも多くの共演者が追悼コメントを寄せていますが、志村けん自身は「死」についてどのように考えていたのでしょうか?
「10年後はもういないと思う」と語っていた志村けん
志村けんは2019年にとあるメディアに出演した際、ダチョウ倶楽部や磯山さやかを相手に「10年後の自分」について語ったことがあります。その際に志村けんは「79の頃にはもういないと思う」と語り、共演者を悲しませてしまいました。しかし、志村けんは「半分くらいいない」とし、手を顔の真ん中に当て顔を左右にのぞかせながら「コッチからコッチはいない。コッチからコッチはいるの」と冗談を言っていました。
「最期は舞台の上で死にたい」と普段から語っていた志村けん
そんな志村けんは「理想の最期」について「舞台が終わった後、客席が笑い続けている時にそのまま死にたい」と、舞台の上で最期を迎えることが理想であることを語っていたのですが、この世を去る直前まで普段と変わらず仕事をし、お酒やガールズバーといった趣味も楽しんでいた志村けん。
そんな志村けんの最期は理想とはかけ離れていたかもしれませんが、最後の最後まで愛するお笑いに心血を注いでいたという部分は共通しているのではないか、と思います。現在ではすっかり大御所となり、慕っている後輩たちも増えた志村けん。どんな時でも決してお笑いに妥協することなく、コメディアン人生を全うしたことに対しては実に考えさせられるものがあります。
まとめ
このように、生前「理想の最期」について語っていた志村けん。理想と現実の最期は異なるものがあり、今でもその最期に多くの方が涙していることでしょう。しかし、亡くなる直前までお笑いを追求し続けてた面については多くの芸人たちが見習いたいと思う部分でしょう。