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川田裕美アナ、「何もない自分が嫌に…」両親の涙と不登校時代


元読売テレビアナウンサーで、現在フリーアナウンサーの川田裕美(36)さんが21日放送の日本テレビ「1周回って知らない話」(後7:56)に出演しました。不登校を経験した高校時代について語りました。

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関西人の親しみやすさがありながら、笑いも取れるアナウンサーとして人気を博し、フリーになって東京に進出してからは更に人気が出ています。川田裕美さんはアルバイトしていた焼き鳥屋の店長に「川田の声はめっちゃ通るな。その声を生かした仕事につけばいいのに」と言われたことがキッカケで2006年4月1日に読売テレビに入社しデビューしました。

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朝日新聞デジタル

 

教育熱心な母親の影響で、幼稚園時代には小学校のドリルで勉強し、月~土曜日まで毎日習い事に通っていたという川田裕美さん。小・中学生の時には、学年で1、2位を争うほどの成績優秀な生徒だったといいます。成績優秀だった川田裕美さんは習字も上手で、中学3年生のときに『市長賞』を受賞したことがあります。頭が良くて字がキレイとは、優等生の見本のようです。実は、その頃から将来アナウンサーになりたいと密かに思っていたそうです。point 270 | 1

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しかし、高校時代に暗転しました。大阪屈指の進学校・大阪府立三国丘高等学校に入学したものの、周囲は頭の良い生徒ばかりだったそうです。次第に授業についていけなくなり補習の常連になるなど、成績は学年で360人中常に下から20番以内まで落ち込みました。

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勉強嫌いがエスカレートする中、体調不良を言い訳に頻繁に学校をずる休みするようになりました。東野幸治さんが「不登校になるの?」と驚くと、「高校2年とか、かなり休んでましたね」と川田裕美さんは言います。「周りはみんな医者になるんだとか、弁護士になるんだとか言ってるから余計に焦って、何もない自分が学校に行くのがもう嫌になってきていた」と当時のつらい心境を語りました。

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勉強をまったくしないまま迎えた高校3年生。いやいやながらも登校を再開しましたが、周囲は受験モード。その様子を見て刺激を受けたそうです。家計を考え学費の高い私立には行けないと思いながら、父親に進学相談したところ「裕美が納得できる所なら、お父さんはどこだって協力する」と言ってくれたことが奮起するきっかけになったそうです。そこから猛勉強を開始し、国立の和歌山大に合格すると、両親は涙を流して喜んでくれたといいます。point 205 | 1

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yahoo

 

大学3年生からアナウンサーになるために大阪市のアナウンサー養成学校『生田教室』に通いながら夜行バスで東京のテレビ局のセミナーに参加するなど涙ぐましい努力していたそうです。また、大学のゼミの先生がアナウンサーになることを応援してくれたことを川田裕美さんは語っています。

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バイト先の店長も、ゼミの先生も、色んな人に応援してもらっているのは川田裕美さんの人柄の良さがあるからなのでしょうね。

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