演歌歌手で桂文枝の愛人であることを暴露していた紫艶が3月に自宅で亡くなっていたことが判明し、週刊誌に直撃された桂文枝もショックを隠せなかったようです。今回は紫艶が亡くなった原因と、桂文枝との泥沼不倫について振り返ってみます。
紫艶プロフィール
本名: 非公開
生年月日: 1978年1月17日
出身地: 兵庫県
桂文枝プロフィール
本名: 河村静也
生年月日: 1943年7月16日
出身地: 大阪府
世間を騒がせた泥沼不倫騒動
演歌歌手として活躍していた紫艶。2000年には日本有線大賞新人賞を受賞するなど、実力はあったのですが、それ以降の活躍は鳴かず飛ばずといったところでした。しかし、2016年に桂文枝との「20年愛」を暴露し、一躍時の人になりました。しかし、桂文枝は当初はこの事実を否定。紫艶はこれに怒ったのか、いわゆる「リベンジポ〇ノ」といった、桂文枝の過去の写真をネット上にばらまくなどの行動を起こすのです。
セク〇ー女優に転身した紫艶
桂文枝との関係を暴露した紫艶は、その数ヶ月後にセク〇ー女優に転身。作品は好評だったようで、多くの男性ファンもついていたことから、桂文枝のことはすっかり忘れ、前向きに第2の人生を歩み始めていたと思われていました。
3月に亡くなっていたことが報じられた紫艶
そんな紫艶が、3月に一人暮らししていた自宅マンションで亡くなっているのが発見されたそうです。紫艶は毎日のように兵庫県に住む母親と連絡をとっていたそうですが、3月7日ごろを最後に連絡がとれなくなり、母親に頼まれた大家が訪ねたところ、変わり果てた姿で見つかったそうです。
亡くなった原因は何だったの?
紫艶は以前から精神の薬を常用していたそうです。そのせいか、ひどい時は呂律が回らないこともあったそうで、普段から多くの薬を併用していたことで、薬の飲み合わせが悪く命を落としてしまったのではないか?といわれています。解剖の結果は病〇であることが分かっています。
桂文枝もショックを隠せない?
紫艶が亡くなられたことに関し、桂文枝も週刊誌に突撃されたようで、これを知った桂文枝は絶句した模様です。記者の「師匠と20年間お付き合いした彼女が、41歳という若さで亡くなったんですよ?」という問いかけには答えず、そのまま車で走り去ってしまったようですが、20年も関係を持っていたのであれば絶句してしまうのも当然のことでしょう。
まとめ
このように、紫艶は桂文枝に捨てられた後の精神状態は尋常ではなかったようで、何度も自〇行為をはかっていたようですが、最近は歌手としての復帰を夢見ていたりと、レッスンに励んでいたそうですが、本格的に復帰する前の訃報であるだけに悲しみの声が広がっています。また、今回の紫艶の訃報により、桂文枝への非難も免れることはできないようです。天国で安らかに眠って下さい。