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岩隈のフォークボールが落ちるようになったのは「楕円ボール」での練習の成果!


現在野球の本場であるアメリカメジャーリーグで活躍している日本人選手は総勢で8人いますが、その8人の中でも長年1銭で活躍しているのが岩隈選手です。岩隈選手は右投げ右打ちの本格派投手で、2000年に近鉄バッファローズに5位指名で入団し、当時は150近い速球派の投手として期待されます。


写真 : 東洋経済オンライン

その後において近鉄バッファローズの投手陣の手薄が功を奏して1軍入り後は、その1軍登板で経験を積んでエースとなり2001年にはパリーグ優勝の立役者となります。そして2003年には速球だけでなく抜群のコントロールを身に着けることに成功し、同年において先発ピッチャーが1流の証明になる15勝を達成します。そして楽天ゴールデンイーグルスに入団した後は戦力が整わなかったのと肩の故障で勝てない日々が続きましたが、そのけがを逆手にとってフォーム改造に着手し見事20勝投手になったのです。point 300 | 1

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写真 : matome.naver.jp

そして2012年に奏せ妻も兄楽天の戦力が徐々に充実し始めた段階であったことに加えて、自身の年齢と日本球界でやることはなくなったことでメジャー挑戦することにしたのです。ただメジャーリーグ挑戦当時は決して順風満帆だったわけではなく、開幕当初は先発ではなく中継ぎもしくは抑えで起用されていたのです。本来先発の人間が中継ぎや抑えに回るのはプライドが許さないのですが、岩隈選手はけがの時期があったことで忍耐力を磨いたことが首脳陣の信頼を勝ち取ることに成功し翌年には先発に返り咲きます。そして先発に転向した後は今日に至るまで毎年投手の勝ち星としてチームがあげてほしい数である10勝を挙げる投手となったのです。その岩隈投手のメジャーリーグで10勝を勝ち取る原動力となったのが、毎試合の重要なポイントで三振か内野ゴロを打たせることができるからです。その三振や内野ゴロを打たせるようになったのは、岩隈投手が投げるフォークボールの1種スプリットを投げるようになったからです。point 496 | 1

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写真 : Naverまとめ

スプリットはフォークボールを高速化したボールで、そのポイントは通常投げるストレートの軌道からいきなり落下することが特徴です。しかしスプリットはフォークボールの中でもナックルに次ぐ難しいボールで、そのコントロールはもちろんのこと簡単には落差のあるボールにはできないのが難点です。しかし岩隈投手が投げるスプリットはフォークボールと同じような落差があり、その効力によってフォークボールをすくいあげるように打つメジャーリーガーでも三振を取ることができるようになっています。しかし日本にいた時の岩隈投手は決してフォークボールを主力として使っていたわけではなく、自身の150キロ近い速球を生かすために緩急でスライダーとカーブを主力として使用していたのです。point 384 | 1

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写真 : news.yahoo.co.jp

もちろんフォークボールを使っていなかったわけではないのです。ただ日本球界にいた時のフォークボールは落差が全くなく、とても実践で使えるレベルではないです。使用するときにはカーブとスライダーにタイミングを合わされ始めた段階で、たまに幅を広げるために投げてバットの下を叩かせて内野ゴロを打たせるために投げていただけです。なぜ日本球界で使えるレベルではなかったフォークボールだったのが、メジャーリーガーを手玉に取るほどに進化を遂げたのかというとそれは独自の練習法にあったのです。その練習法というのが通常野球ボールは丸い球体を使うのですが、このフォークボールの取得のために岩隈投手はラグビーボールのような楕円形のボールを使用して練習したことです。point 388 | 1

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写真 : excite.co.jp

フォークボールの落差を出すためには握りと握りの強さも大事ですが、それよりも技術的に大事な要素はいかにリリースを変えずにひじや肩に力を入れずに投げられるかが重要になるのです。ラグビーボールのような楕円形のボールをまっすぐ投げるためには、ボールをしっかり握りつつ肩やひじに力を入れずまっすぐ振り下ろすことが大事です。この一連の流れを体得し、そのあとにボールの握りを確認して投げたことで落差のあるフォークボールを取得することに成功したのです。point 284 | 1

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