X
    Categories: CELEB

ゆずは宗教がらみのグループ?北川悠仁の母が教祖の教団とは?


ゆずのボーカル北川悠仁の母親が、宗教団体を運営しているらしいと言います。教祖であるとみられる北川の母の生い立ちや、教団設立に至るまでの経緯を調べてみましたのでご紹介します


写真:hairstyle-matome.blog.jp

 

ゆずのボーカル北川悠仁の母は宗教家?


写真:2xmlabs.com

ADVERTISEMENT

ゆずのボーカルでおなじみの、北川悠仁の母親は実は宗教団体の教祖であります。1937年生まれの母、本名は北川敬子さん。教祖としての名前は「北川慈敬」です。1999年5月に自ら「かむながらのみち」を’立ち上げて、本所在地を神奈川県横浜市に置き、現在では全国に10カ所の道場を構える1000人以上が入信している宗教団体だそうです。1999年母親が、宗教団体を設立したころ、「ゆず」は?というと、世間ではすでにゆずは大ブレイクをしていて、「いつか」「さよならパス」「センチメンタル」などのヒット曲を次々と世に送り出しています。point 259 | 1

ADVERTISEMENT

 

北川悠仁の母の生い立ち


写真:Flickr

北川悠仁の母、敬子さんが、宗教団体を設立するまでの経緯を追ってみました。1937年阿倍野で生まれた敬子さんは、1945年越前海岸の父親の実家に疎開をします。そのころ敬子さんの母は名古屋で洋裁店を開業していて、すでに事業家でした。敬子さんが小学校の頃、父親が浮気をして、それがもとで両親は離婚をします。敬子さんが11歳の時に、近所の人から「解脱会」という宗教をすすめられ、母親と一緒に入信をします。このころから、敬子さんは「生長の家」や「立正佼成会」、「天理教」などの教えを読み、またカトリックの教会にも通うなど、深く宗教の道にのめりこんでいったようです。中学生の時に敬子さんの母親が腕に怪我を負い、洋裁店を閉業にせざるを得なくなりました。point 395 | 1

ADVERTISEMENT


写真:2xmlabs.com

しかし、お母さんと敬子さんの折り合いが合わず、我の強い母のもとで過ごしたら、自分の人生までくるってしまう。と思った敬子さんは、母との縁を切り、父方の祖父が経営する日神ビルという会社に勤めることになります。1957年敬子さんが20歳の時に夫・北川和夫と結婚し、母親とも復縁するのでした。1997年に真言宗醍醐派総本山の真如苑教主夫妻から、「あなたも霊界をどうかおつくりになってください」とお告げのような言葉を受けます。1999年2月に、「ゆず」のボーカル北川悠仁のスキャンダルが解脱会で、問題としてとりあげられ、母敬子さんはこれを機に団体を脱会し、「かむながらのみち」を自ら創立するのでした。point 359 | 1

ADVERTISEMENT

 

宗教「かむながらのみち」とは


写真:映画.com

「かむながらのみち」の教えは「人と大自然の法則が一体となり、この世で生きていく命の道」というのが基本で、教団では活発にセミナーやリーディングというのを行っていて、セミナーを「魂の覚醒かくせい」をする為に、リーディングは人間の表面意識と潜在意識の間にある、本質意識を読み取るためのトレーニングだと言います。「かむながらのみち」は年間を通じて、供養やお祓い、神礼祭といった活動を積極的に行っていて、宗教団体としても真言密教を根本とする祭事が多く行われています。また教団には関連企業があり、(株)ETLジャパンはゆずの所属する会社で、(有)任社は次女が経理を担当する。他にもワンワールド・ワン―プル協会というNPO法人も協力法人のような形で関与しています。point 404 | 1

ADVERTISEMENT

 

まとめ


写真:芸能人髪型.com

北川悠仁の母、宗教家の北川慈敬ですが、ゆずの北川悠仁が大した関与をこれまで見せていないことと、関連企業として、ほかにも事業を起こしているところから、宗教心は本物だと思いますが、完全にこれは企業組織ですね。敬子さんの母が、名古屋で服飾店を経営し始めたように、ゆずの北川悠仁の母敬子さんにも、早いうちから、事業家としての才能が芽吹いていたのでしょう。敬子さんの育ってきた環境が、自然と事業家への道へと導かれるようにすすんでいったことがよくわかります。宗教心は誰にでもきっとあるもので、多くの人に教えを説くことで、幸せになる人が増えることはとっても良いことです。「かむながらのみち」の教えのように、人間も自然の中の一部として、自然と調和して生きていかなければなりませんね。とってもいい教えだと思います。point 419 | 1

ADVERTISEMENT