テレビで見ない日はないといっても過言ではないくらい、有吉弘行は毎日テレビに出続けています。地上波、BS、ラジオなどで数多くのレギュラー番組を持っている売れっ子芸人の有吉弘行ですが、かつては仕事がまったくないどん底の生活を送っていたことをご存知でしょうか。仕事がまったくない時期は貯金を切り崩し、先輩芸人にご飯をおごってもらったり、スーパーでお弁当やお惣菜が半額になるのを待っているという日々が続きました。
なぜ有吉弘行はどん底に落ちてしまったのか。
写真:東洋経済オンライン
今の活躍を見ていると、なぜ有吉弘行はどん底に落ちてしまったのか?と疑問に思う人も多いと思います。
どん底に落ちてしまった原因は、以前は今のようにお笑いの仕事で売れていなかったからです。
写真:アサ芸プラス
有吉弘行は猿岩石というお笑いコンビを組んでいて、
写真:こいもうさぎのブログ
コンビを結成してすぐに日本テレビの電波少年という番組で長期の海外ロケに出発します。
この長期の海外ロケは、お金を持たずにヒッチハイクでユーラシア大陸を横断するというチャレンジでした。
このヒッチハイク旅が話題を呼び、猿岩石は一気にスターダムにのし上がります。
日本に帰国するとハリウッド俳優を迎えるような歓声が飛び交います。
日本に帰国後は各テレビ局に出演して、CDも発売します。
写真:archive.fo
猿岩石としてのデビュー曲は、「白い雲のように」というタイトルで、作詞作曲は藤井フミヤが担当しました。
この「白い雲のように」は100万枚を超える大ヒット曲になり、猿岩石はアイドルのような人気を獲得します。
アイドルのような人気を獲得した猿岩石は、お笑い芸人として番組に出演するのではなく、歌手として番組に出演することが多くなります。
CDも2枚目、3枚目とリリースしていき、完全に活動は歌手のようになってしまいます。
この歌手のような活動を続けたことが、後の芸人活動に影響を与えてしまいます。
芸人としての才能が開花。
写真:FUNDO
アイドルのように人気があった猿岩石ですが、少しずつCDが売れなくなり、人気も衰退していきます。
そして、猿岩石としての活動も上手くいかなくなり、コンビ解散という形を取ります。
コンビを解散してピン芸人となった有吉弘行は、ここでどん底の時代を過ごすことになります。
芸人としての仕事はなくなり、収入はほとんど0になってしまいます。
収入がなくなった有吉弘行は、持っていた愛車を売却したり、家賃が安い部屋に引っ越したりします。
写真:芸トピ
さらに、事務所の先輩であるダチョウ倶楽部の上島竜平にご飯をおごってもらう日々を過ごします。
ご飯をおごってもらい、帰りはタクシー代を貰って徒歩で帰ります。
写真:エンタメトレンドまとめサイト
しかし、お笑い芸人としての才能を高く買っていたウッチャンナンチャンの内村、さまぁ~ずなどは自身の番組でまったく仕事がない有吉弘行を起用します。
そして、少しずつ芸人としての人気が上昇していきます。
写真:イベント・ニュース情報センター
さらに、あだ名をつけるキャラクターや毒舌を言うキャラクターという新境地を開拓します。
新境地を開拓した有吉弘行は、トーク番組などで実力を発揮して、次第にMC番組などを担当するようになります。
写真:news.livedoor.com
さらに、twitterが面白く、人気があります。フォロワー数は700万人を超える勢いで、日本一のフォロワー数を獲得している人物でもあります。
まとめ
写真:FEELY
有吉弘行はtwitter上で、批判的な意見ばかり言ってくるアンチを相手に、華麗な切り返しすることでも話題です。有吉弘行はtwitterでは感情的に怒るのではなく、相手を辱めるような言葉を発して一瞬で相手を黙らせます。このテクニックは毒舌芸人の有吉弘行ならではのもので、他の人が真似しようと思ってもなかなか真似をすることができないです。芸人として辛い時期を過ごし、そして実力で復活した有吉弘行に怖いものはないです。