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郷ひろみは元ジャニーズ!脱退後も活躍できているのはなぜ!?


郷ひろみは、1971年に映画のオーディションで、ジャニー喜多川にスカウトされジャニーズ事務所に所属します。当時の事務所の稼ぎ頭はフォーリーブスであり、今では考えられませんが、その他にはあまり売れているタレントは所属していませんでした。


写真:LINE

郷ひろみは、フォーリーブスのバックダンサーとして芸能活動を始めますが、愛らしいルックスと中性的な声が話題となり、たちまち人気者になります。「郷」という芸名は、ファンからの「レッツゴーひろみ」の声援をヒントに名付けられています。

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郷ひろみの活躍

1972年になるとNHK大河ドラマなどに立て続けに出演し、同年9月にはシングル「男の子女の子」で歌手デビューを果たします。


写真:アマゾン

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当時は有線が全盛の時代ですから、1回聴いただけでは男性が歌っているのか女性が歌っているのかわからないこと、さらに実際のルックスも男女の見分けがつかないことが大きな話題となり、年末には第14回日本レコード大賞新人賞を受賞します。さらに、同時期にデビューした西城秀樹、野口五郎とともに新御三家として70年代を代表するトップアイドルとなります。

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彼の苦悩は大きくなっていった?

順風満帆に見えた、郷ひろみの芸能活動ですが、ブレイクすればブレイクするほど、彼の苦悩は大きくなっていきます。


写真:musiclovea.exblog.jp

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後年になって、郷ひろみ本人も懐柔していますが、当時はレコーディングやドラマ、バラエティーの収録などで睡眠時間も3時間程度しかなかったそうです。15歳で芸能界に入った郷ひろみは、僅か1年足らずで歌手デビューを果たしていますから、言わば歌もダンスも十分なレッスンを受けているとは言えない状況です。

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写真:ジャニーズ百科事典 

20歳が近くなり、歌手としての自我に目覚めた郷ひろみは、日に日に「歌えない。踊れない。」という想いが強くなり、芸能活動を休んででもしっかりとしたレッスンを受けたいと要望するも、ブレイク中のタレントを休ませることに反対するジャニーズ側と軋轢が生まれたとしても不思議ではありません。

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周防郁雄氏が現れる!

そこで、ジャニーズの仲裁に立ったのが、芸能界において大きな力を持っている周防郁雄氏です。


写真:Naver

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結局、郷ひろみの才能を高く評価していた周防郁雄氏は、自分の芸能事務所に円満移籍させることをジャニーズ側に了解させ、1975年になって正式に移籍が発表されます。その後、毎年、ニューヨークなどに留学してダンスや歌を学ぶことによって、現在でも素晴らしいパフォーマンスが維持できているのです。
ジャニーズから移籍したタレントは干されるとの噂がありますが、直接的にジャニーズが圧力をかけているわけではなく、テレビ局やプロモーターがジャニーズに気を遣って起用しないことが、その原因です。郷ひろみがジャニーズ脱退後に活躍できたことは、本人の努力によるところが一番大きかったのです。point 282 | 1

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郷ひろみの脱退理由


写真:ミドルエッジ

多くのジャニーズタレントが、事務所の力ではなく自分の力でブレイクしたと勘違いして脱退し努力もしませんから、需要がなくなるので仕事がなくなりますが、そもそも郷ひろみの脱退理由は、パフォーマンスの質を向上させたいことでしたから、志が違うのです。さらに、移籍先周防氏の事務所であったことも大きな理由です。周防氏の事務所もジャニーズも当時は大きな事務所ではありませんでしたが、周防氏は当時から芸能界では実力者として知られ、大きな力をもっていたことも郷ひろみには大きなプラスとして働いたのです。point 316 | 1

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