X
    Categories: CELEB

日馬富士は史上初の大学院生横綱!大学では何を学んでいるの?


スー女(すーじょ)と呼ばれる、女性の大相撲ファンが大変多いですね。テレビ中継を観ていても、特等席である升席に多数のスー女が座って観戦している姿をよく見かけます。入場料は結構な金額と思われますが、正直うらやましいです。さて、先場所の9月場所は、横綱日馬富士が優勝して、一人横綱の責任を果たしました。

 


写真:nypost.com

日馬富士は、四股名名、日馬富士 公平(はるまふじ こうへい)といい、本名はダワーニャム・ビャンバドルジです。昭和59年4月14日で現在33歳、モンゴル・ゴビアルタイの出身、186cm、137kgの体格、血液型はO型で、伊勢ヶ濱部屋所属です。3人兄弟の末っ子として育ち、幼い頃から兄と相撲を取ることが多く、負けると悔しがる負けん気の強い性格だったようです。上位に上がってくる力士は皆、負けん気が強いですね。

ADVERTISEMENT

 


写真:mainichi.jp

父親は軍人でありながら、医者、詩人でモンゴル相撲の国家ザーン(大相撲の関脇に相当)でした。この父親は実直な方だったようで残念ながら2006年、交通事故で亡くなっています。その父親からは「人のために尽くす人間になれ」と常々言われて育ったようです。高校時代は美術学校に通いながら、モンゴル相撲にも打ち込み、後の朝青龍や朝赤龍、時天空らと稽古もしていたようです。日本に乗り込み2001年に初土俵を踏みますが、当時の四股名は安馬(あま)でした。かなり弱そうな名前だなと思ったことを覚えています。それに反して、2004年の九州場所で新入幕。この頃かなり軽量級の力士でしたが、スピード感あふれる取り口で土俵を沸かせました。かつての若い頃の千代の富士を彷彿とさせるものがありました。2008年大関に昇進、このとき日馬富士に改名しました。その後2012年11月第70代横綱に昇進しました。point 456 | 1

ADVERTISEMENT

 


写真:murata-brg.co.jp

2014年4月法政大学大学院、政策創造研究科に入学、史上初の大学院生横綱ともなりました。「政策創造研究科」という、どういう内容のことを学ぶところなのか分からないのですが、都市や雇用の創出などに関係する政策を学ぶところのようです。横綱昇進後1年ちょっとで入学していますから、入学することは、本人がかねてから温めていた案件なのかもしれません。日馬富士は元々勉強家で、文化や法律、社会貢献活動など、社会に関わることには興味がありました。父親の気質を受け継いでいるのかもしれませんね。母国モンゴルの医療系NPOの会員として、同国の医療が行き届いていない子供たちへの支援を盛んに行っているとも聞きます。日馬富士は母国モンゴルの大学の通信課程を卒業していて、警察官と弁護士の資格を持っているインテリの側面があります。将来は、母国あるいは日本を通して、幅広く社会に貢献できることを目標にしているのかもしれません。そして、更なる目標として社会貢献、すなわち政治の世界に進出することを視野に入れているのかもしれません。現在は休学しているとのことですが、33歳の今、現役もそう長くは続けられないことも考えると、どうなるのでしょうか?point 581 | 1

ADVERTISEMENT

 


写真:news.yahoo.co.jp

日馬富士が目標にしていた力士に、やはり母国モンゴルから日本にやってきた旭鷲山(きょくしゅうざん)という力士がいました。同じように力士でありながら早稲田大学に入学し、現役を退いた後、母国の国会議員になった経緯があるようです。そのことを考えると、日馬富士も同じような道を模索しているのではないかと考えることは無理がないことのように思えます。

ADVERTISEMENT

 


写真:matome.naver.jp

そしてこれを裏付けることがあって、それは、日馬富士が結婚した際、モンゴル出身のお嫁さんが日馬富士引退後はどうするのですかという問いに、今は思案中ですとの回答をしました。横綱婦人ですから、ここは当然部屋の女将さんと言ってもいいわけで、このことからやはり相撲界は、現役までと考えているのかもしれません。しかしながら、先場所の優勝でまた気が変わったということもありえますし、情勢は毎年変化しますから分かりません。休学中の大学院復学ということになれば、これがひとつの何かの示唆だろうと考えますがいかがでしょうか。point 326 | 1

ADVERTISEMENT