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伝説の名打者・ガッツ小笠原道大!高校時代はホームラン0本だった!?


現在は中日ドラゴンズの二軍監督として指揮をとっている小笠原道大は、1996年度ドラフト会議にて日本ハムに入団して以降数多くの打撃タイトルを獲得した伝説級の名打者です。小笠原道大は、日本ハムからFA宣言でジャイアンツに移籍してからも期待通りの活躍でした。さらに再度のFA宣言で中日ドラゴンズへと移籍後も代打の切り札として活躍した大人気の選手です。そのプロ野球選手としての活躍とプロ入り前の活躍について紹介します。

プロ入り前の小笠原道大の活躍について


写真:Number Web – 文春オンライン

地元の千葉県のリトルリーグで野球をはじめ、高校は千葉県の暁星国際高等学校へと進学しました。ポジションは複数ポジションを経験していましたが最終的に捕手として落ち着きました。小笠原道大の高校時代の活躍についてですが、プロ入り後の活躍からは信じられないのですが、なんと高校通算本塁打数が0本です。当然選手としても全く注目されておらず、プロからの指名もありませんでした。プロ野球界で活躍する選手のほとんどが高校時代に桁外れの打撃力を発揮しているため、小笠原道大の高校通算本塁打0本ということがいかに異例の出来事かよく分かりますね。この事実は後の高校野球で活躍できなかった選手たちの大きな励みになっていることでしょう。point 398 | 1

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写真:Twitter

高校卒業後は大学進学せず、NTT東日本に入社して野球を続けることになります。社会人時代の小笠原道大は、プロ入り後の打撃とは違い強打者としてではなく、中距離ヒッターの好打者という評価でした。打順もクリーンナップを打つことはなく、主に2番打者として活躍しており俊足好打の打者としてプロのスカウトも認識していたようです。強打者とは認識されていませんでしたが、都市対抗野球戦などでの活躍もあり、前述したよう1996年度ドラフト会議で日本ハムファイターズにドラフト3位で指名されプロへの道を進むことになります。point 310 | 1

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プロ入り後の小笠原道大の活躍について


写真:BASEBALL KING

プロ入り後の素晴らしい活躍についてですが、入団当初は捕手と一塁手を兼任していました。足の速さを評価され1999年からレギュラーとして活躍します。特に長打は期待されていませんでしたがシーズンを通して2番打者として活躍し25本も本塁打を打ちました。翌年の2000年からは4年間連続で3割30本を達成し球界を代表する強打者になります。とても高校通算本塁打が0本の選手とは思えませんね。長く日本ハムの中軸打者として活躍しましたが、2006年度にFA宣言し日本ハムが本拠地を北海道に移したこともあり、ジャイアンツへと移籍します。
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写真:YouTubepoint 60 | 1

移籍してからもその打棒は変わらずまたもや4年連続で3割30本を記録します。2011年度以降は故障の影響と打撃不振もあり規定打席に到達することはありませんでした。2013年度オフに2度目となるFA宣言し、獲得に名乗りを上げた中日ドラゴンズへと移籍が決まります。ドラゴンズに入団してからは主に代打の切り札として活躍し、打席数こそ少ないものの久々に3割を記録します。レギュラーではなかったのですが代打小笠原がコールされるとナゴヤドームでは大歓声が起きるほどの人気を誇っていました。翌年の2015年度も代打の切り札として活躍し3割近い成績を残しましたがそのオフに現役を引退しています。point 348 | 1

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まとめ


写真:急上昇ワードまとめブログ速報

高校通算本塁打0本の選手がプロ野球界に入って、2000本安打や350本塁、通算打率.point 118 |

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310を記録するなどほぼすべての人が予想することは不可能だと思います。このことは当然小笠原道大自身の努力があったからこその実績と言えるでしょう。プロ野球選手を目指しているけれど高校野球でまったく実績が残せなかった選手でも努力次第で、将来は小笠原道大のようにプロ野球界を代表する強打者になれるかもしれないと多くの高校球児に夢を与えた選手ということは間違いないでしょう。point 183 | 1

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