X
    Categories: CELEB

天才を育つ「羽生家の家訓」


羽生結弦があれほど心が強い理由は何だろうか。彼のスケートを見たみんなが疑問に思うことだと思います。

[rsnippet id=”4″ name=”DFP/34009881/Article_1″]

羽生結弦のプロフィール


写真:東洋経済オンライン

代表国: 日本

生年月日::1994年12月7日(23歳)

ADVERTISEMENT

出生地: 宮城県仙台市泉区

身長:172 cm

体重:57 kg

コーチ: ブライアン・オーサー(2012-)、トレイシー・ウィルソン

 

両親は控え目で謙虚な方

このように逆境に立ち向かう精神力と礼儀正しい羽生結弦を育った羽生の両親は一体、どんな人物でしょうか。羽生は仙台市泉区で生まれて、育ちました。両親と姉一人の4人家族で、父は中学校の教頭を勤め、母は専業主婦で、4歳上の姉は羽生のホームリンクだったアイスリンク仙台の職員です。

ADVERTISEMENT


写真:現代ビジネス

羽生家と親しい友人によると、「結弦の両親が表に出ないのは、頑張っているのは本人であって、親は関係ないという考えからなんです。五輪で金メダルを獲得しても『私たちがしゃしゃり出て話すことはない』と言っていましたね。控え目で多くを語らない、お二人とも、まさに東北人の気質を持った両親です」ということが分かりました。

ADVERTISEMENT


写真:withnews

「フィギュアは、靴や衣装、リンク代など、ものすごくおカネがかかるスポーツです。家族の協力なしにはできません。羽生家は父親が公務員で貧しくはないけど、カネ持ちというわけでもない。家賃5万円でつつましく暮らしていました。節約のために、つい3年前まで結弦の衣装はお母さんが作っていたんです」

ADVERTISEMENT

 

「嫌なら辞めればいい」


写真:wcvb.com

羽生は野球をやっていた父の影響からボール遊びが大好きでした。しかし、喘息持ちだった羽生は少し走るだけで急に咳が止まらなかったり、夜も眠れないほど咳が続くそうです。スケートに出会ったのは4歳の頃、ホコリを吸い込む可能性が少ない室内でのスポーツはピッタリでした。

ADVERTISEMENT

[rsnippet id=”5″ name=”DFP/34009881/Article_2″]

幼少期から羽生を指導してきた都築章一郎氏は「元々は喘息を治すことが目的だったようですが、結弦は体幹がしっかりした子で、『才能の片鱗』が見えました。何度転んでも起き上がってきて、当時から芯の強さや、負けず嫌いなところはありましたね。『お姉ちゃんができるなら僕にだってできる』と言って、果敢にジャンプやスピンに挑戦していました。その頃からうまくいけば世界に通用する選手になると思っていました」と語っています。point 202 | 1

ADVERTISEMENT


写真:twitter.com

野球の方がお金もかからないし、良いのではないかと父が話し、羽生が悩んだ結果、スケートのほうがいいと自分の気持ちを改めて確認をすることができました。その後、父も応援をするようになり、見守ることにしました。

ADVERTISEMENT

前出の都築氏:「羽生家の場合、あるときは密接で、あるときは突き放すという教育をされていた気がします。子供にやらせるのではなく、子供が関心を持ったことに、可能な限り協力する。子供の『自主性』を尊重するのが、羽生家の教育方針でした」

ADVERTISEMENT

 

スケートだけの人間になるな


写真:Nippon.com

東北高校の五十嵐一彌校長:「羽生君は勉強もスケートもきちんと両立していました。やはり親御さんの教えがあったからだと思います。お父さんは『フィギュアだけでなく、勉強もしなければダメだ』と羽生君に常日頃言っていたようで、遠征先にも教科書や参考書を持ち込んで勉強していました。中学のころから成績もよくて、特に理数系が得意でした。お父さんが数学の先生という影響があるのかもしれませんね」

ADVERTISEMENT


写真:アエラドット – 朝日新聞デジタル

バンクーバーオリンピックでの金メダリストのキム・ヨナの指導者だったブライアン・オーサーに師事するため、仙台を離れてカナダのトロントに母と二人で住むことになりました。献身的な母の支えでカナダでの生活が軌道に乗ると、羽生はメキメキと腕を上げていきました。

ADVERTISEMENT

[rsnippet id=”6″ name=”DFP/34009881/Article_3″]

「強いゆづと弱いゆづ、その二つです。あれほどの選手になっても、弱いゆづは完全になくなったわけではない―いや、その弱さがあるからこその、ゆづなんです」

 

「整体師」からの支え


写真:Naverまとめ

ADVERTISEMENT

羽生にとって、 個人トレーナーで整体師の菊地氏は「精神安定剤」とも言われており、喘息の治療にも関わってきたそうです。気功術のようなものを使用するため、一部週刊誌では「怪しげな人物」と呼ばれていることもありました。

ADVERTISEMENT

「かつて横綱・貴乃花がそうだったように、スポーツ選手は整体師や占い師に心酔しやすい。菊地氏は『チャクラの仙人』などと呼ばれ、ファンの間でも胡散臭いと思われているようですが、羽生本人はもちろん、羽生の両親からも絶大な信頼を得ています」(前出のスポーツライター)

ADVERTISEMENT


写真:NAVER まとめ

菊地氏 :「僕が羽生君の精神的な支えになっている? そんなことはありません。僕はただの整体師です。むしろ羽生君に感謝していますよ。未知の世界に連れて行ってもらえたわけだから。本人も立派ですが、やはりご両親が立派な方です。いちばん立派なのは、感謝の気持ちを忘れないこと。金メダルを取れば、本人も親も天狗になってもおかしくありません。ただ羽生家の場合は、かれこれ10年以上の付き合いになりますが、出会った頃と何も変わらない。感謝の姿勢は、ご両親が羽生君に言葉で教えたわけではないと思います。両親の背中を見て、自然と身についたのでしょう」point 326 | 1

ADVERTISEMENT

 

まとめ


写真:NEWSポストセブン

世界的に有名で、素晴らしい才能を持った天才スケート選手羽生結弦についてご紹介しました。これからも彼の活躍に期待していきたいですね。

ADVERTISEMENT