1999年の春からスタートしたガチンコは、その名の通り様々な社会問題に対して体当たりで解決をするというコンセプトでスタートしました。司会はTOKIOが勤めていましたが、そんなガチンコの中でも最も人気を集めていた企画が「ガチンコファイトクラブ」になります。「ガチンコファイトクラブ」とは、不良少年を集めてその中からプロボクサーを育成しようという企画で、内容も元プロボクサーでミドル級のチャンピオンでもあった竹原慎二氏が勤めていて、実際にプロボクサー排出するほど話題となった企画になります。
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当時の番組では不良少年たちが掴み合いで喧嘩をするシーンなども多く、そのようなトラブルがかえって視聴者に受けていましたが、その反面、暴力的なシーンや暴言も多いことから倫理的に問題視されることも多い企画でした。そして、卒業生の中には実際にプロボクサーになることができた卒業生もいますが、プロテストに不合格になった卒業生もいました。では、そんなプロボクサーになることができなかった不良少年たちは現在どのような活動をしているのでしょうか。ここでは「ガチンコファイトクラブ」の中でも特に注目を集めていたい卒業生の現在をご紹介していきます。
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まず一期生の網野泰寛さんですが、今現在は何と不良少年のイメージとはかけ離れたフラワーデザイナーとして活躍をしています。何故、不良少年だった網野泰寛さんがフラワーデザイナーになったのかと言うと、実は網野泰寛さんのお母さんが日本におけるプリザーブドフラワーの第一人者であり、その影響を受けてフラワーデザイナーの道を歩むことになったそうです。現在では、その活躍を世界にまで広げていて世界100ヶ国以上が参加する「世界花博」で銀賞を受賞するまでになっています。
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次に二期生として登場した藤野大作さんですが、歴代の「ガチンコファイトクラブ」の中でも特に気性が激しくトラブルを起こしていた卒業生ですが、そんな藤野大作さんの現在は接骨院を開業して医院長として活躍をしています。10歳年上の奥様と月5万円の2LDKのアパートで生活をしながら自身の接骨院を経営していますが、接骨院を目指したきっかけは一度はプロテストに合格するも、試合中に頸椎を損傷して全身に麻酔が現れる重傷を負い現役引退を余儀なくされました。現役を引退した藤野大作さんは日常生活もままならない状態にまで陥り、生きていく意味さえも見失いかけていましたが、そんなとき「ガチンコファイトクラブ」でお世話になった竹原慎二さんからの応援もあり、必死にリハビリをして日常生活が送れるまでに回復、その経験が接骨院を開業するきっかけになったようです。
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次に三期生として登場した竹中哲太さんですが、こちらも歴代の「ガチンコファイトクラブ」の中でも特にトラブルが多く、番組内では「狂犬」との異名を付けられるほどでした。そんな竹中哲太さんは企画中にプロテストに合格をしていて、番組内でプロデビュー戦も放送されました。プロデビュー戦もKOで勝利して、その後もプロボクサーとして活躍をしていましたが、その後は2児の父になり今現在はちりめん工場に勤務していると雑誌で紹介されました。
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と言うのもプロボクサーは世界チャンピオンクラスにならないと生活は難しく、多くのプロボクサーはアルバイトで生計を立てながらプロボクサーを続けていますので、竹中哲太さんもプロとして活躍をしてはいましたがプロボクサーだけで生計を立てるまでにはならず、現在は工場で勤務しているようです。このように当時は喧嘩ばかりしていた「ガチンコファイトクラブ」の不良少年たちは新たな道を見つけて、それぞれの道を歩んでいました。