福原愛の父親でもある福原武彦は長い間、娘と疎遠でした。その原因は建設会社の経営がうまくいかずに借金を背負っていたからです。家族に迷惑をかけずに離婚後、1人身になり自己破産をすることになりました。オリンピック選手として光り輝く娘に対し、その父の福原武彦は娘に看取られずに肝臓がんで亡くなりました。
娘のために作った練習環境と建設業での福原武彦の失敗とは
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福原武彦は、娘の福原愛のために競技生活に活かすために、専用卓球場を所有していました。他にも娘のために中国から卓球コーチなどを呼ぶなどして、娘のために大金を注ぎ込んでいたのです。また建設会社を営んでいましたが、経営が途中からうまくいかなくなってしまい、さらに仕事がらみの連帯保証人になるなどして、借金が1億4千万円以上に膨らんでしまいました。福原武彦が多額の借金を抱えていたことについては、家族にも知られておらず、事態がようやく取り返しのつかないところになって、ようやく父親の福原武彦の背負った借金について、債権者の取り立てが家に頻繁に来るようになって、家族が知ることになったのです。
福原武彦の借金を減らすために福原愛はCMやバラエティに出演
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福原愛は卓球の英才教育を幼少時代から受けていたため、練習で忙しいはずの卓球選手であるにも関わらず、一時期テレビのコマーシャルやバラエティ番組に頻繁に出ていました。また小さな女の子が懸命に卓球を泣きながらしている姿を見て、その可愛らしさに泣き虫アイちゃんとのニックネームが付けられ、国民的アイドルにもなりましたが、これも卓球選手として人気があるからマスコミの前に出ているのだろうと思われる方も多いかもしれませんが、実は父親である福原武彦の借金を少しでも返済するために、マスコミの前に姿を現していたのです。その当時のコマーシャルへの出演料は1本3千万円以上でしたので、福原武彦の借金を返済するために、娘の福原愛がお金を頑張って稼いでいました。
離婚後1人身になり福原武彦は自己破産の道を取りました
写真:フォト蔵
福原愛の父、福原武彦が離婚したのは2004年度のことです。CM1本が3千万円でも、結局父親である福原武彦の借金を返すことが出来ませんでした。このままいけば、債権者の借金の取り立ては娘の福原愛が稼いだお金が差し押さえられてしまうという思いもあったのでしょう。福原武彦は離婚をし、離婚後は自己破産をして借金を帳消しすることにしたのです。離婚後、福原愛は父親の福原武彦とは一切、連絡を取らず絶縁状態でした。福原愛はこの当時、15歳でちょうど思春期の時期であったため、父親の借金のせいで自分の人生が台無しになってしまうことも不安に感じていたのかもしれません。福原愛にとって父親は疎ましい存在だったかもしれませんが、父親である福原武彦にとっては娘や家族を守るために、自己破産という道を決断されたのでしょう。
福原武彦死去後の福原愛のコメント
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福原愛の父親福原武彦は2013年10月にすい臓がんで亡くなりました。ちょうど娘の福原愛は東アジア大会で天津にいた時でした。このときのコメントでは父親がいなければ自分は生まれてこなかったし、現在の自分があるのも父親の福原武彦の影響によるものだったのでこれからも卓球選手として活躍できるように頑張っていきたいと答えています。このコメントの裏側には父と娘との人には話すことができない様々な確執があったのでしょう。離婚直後に、中国へ福原愛が行った時にマスコミ関係者に、家族のことで色々大変で、一家の稼ぎ手としてどのように考えていますかとインタビューされて、福原愛さんは思わずマスコミの前で泣き出してしまったことがあったそうです。普段は明るく振る舞う福原愛ですが、色々な隠された思いが当時はあったのでしょう。
福原武彦は娘の福原愛のために一生懸命だった
写真:たっかしーの気ままブログ – So-net
福原武彦と娘の福原愛の間には、様々な親子の確執があり、娘の福原愛はその確執に長年苦しんできました。最終的には多額の借金を抱え、離婚後、自己破産をしなければなりませんでしたが、それはすべて娘の福原愛に迷惑をかけないためでもありました。離婚後福原武彦は娘の福原愛と絶縁状態にありましたが、すべては愛する娘のために一生懸命頑張ってきたのではないでしょうか。