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藤圭子を自殺へ追い込んだ壮絶すぎる人生とは?


2013年8月22日、演歌歌手の藤圭子さんが自殺しました。享年は62歳。

「怨歌」と呼ばれる女性の情念を歌い1960年代から70年代にかけて一世を風靡しました。代表曲は「圭子の夢は夜開く」です。娘・宇多田ヒカルさんの活躍も記憶に新しいなかでの突然の自殺。日本中に衝撃を与えた事件の背景には何があったのでしょうか。その壮絶な人生を振り返ってみます。

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写真 : オレ的ゲーム速報@刃

藤圭子さんは岩手県出身で、北海道の旭川市育ち。幼い頃から浪曲師の父の旅回りに同行し、自らも歌うような生活を送りました。学生時代は成績優秀でしたが、家計を助けるために高校進学を断念、ただ、歌謡大会に出場した際にスカウトに認められ、歌手の道に進みます。デビュー曲は「新宿の女」。

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写真 : Yahoo!ニュース – Yahoo! JAPAN

作詞家の石坂まさをとの出会いもあり、以後はヒット曲が続きます。可憐な風貌とハスキーな声とのギャップは当時社会に大きな衝撃を与えたといいます。デビュー曲をアルバム名に冠した「新宿の女」は20週連続1位を獲得、セカンドアルバムの「女のブルース」は37週連続1位を記録しました。TVアニメのヒロインのモデルにもなるなど、日本を代表する女性になりました。

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1971年、人気絶頂のときに1度目の結婚。相手は大スターの前川清でした。しかし、大スター同士の結婚はすれ違いも多くわずか1年で破局します。2年後には喉のポリープ手術をして歌にも影響が出るなど、仕事にもプライベートにも悩みが増えて行きます。そして1979年に引退を発表しました。

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写真 : 今日の芸能ニュース速報【画像・動画あり】

しかし1981年には「蛍火」を発表して芸能界に復帰します。その後、もう一度歌手を引退しますが、ミュージック会社の社長と再婚し、宇多田ヒカルさんが誕生しました。宇多田ヒカルさんの活躍によって、藤圭子さんはまた注目されるようになり、親子が仲良くしている姿もメディアで報道されていました。そして突然の自殺報道です。

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藤圭子さんの略年を見てきましたが、幼い頃から苦労を重ねてきたようです。貧しい家庭に生まれますが、家族の問題はあとをひき、父親の母親への家庭内暴力もあったといいます。藤圭子さんもプライベートで問題を抱えていました。

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写真 : Naverまとめ

まずは浪費癖があったといいます。ファーストクラスで世界中に旅したり、ホスト遊びをしたり、ギャンブルにハマるなど芸能界でも極めて金遣いが荒かったようです。インタビューによれば5年間で5億円も使ったといいます。この浪費癖が原因となって家族とは疎遠になりました。一説によると、この浪費癖はパニック障害といって感情が抑制できなくなった結果、浪費に走るという症状になったのかもしれません。また、貧しい家庭出身だということも関係しているかもしれません。point 282 | 1

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藤圭子さんを知る関係者によれば、うつ病や睡眠薬を常備していたようで、なんらかの精神病を患っていた可能性は高いといえます。また、事件当日に薬を服用していたのであれば、自殺ではなく、薬によって意識が朦朧となった状態により、あやまって転落した可能性もあるといいます。

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写真 : DTN~DailyTinyNews – So-net

自殺には家庭の問題もあるかもしれません。宇多田ヒカルさんがデビューしてすぐ、藤圭子さんはラジオで娘自慢を繰り広げ、大変な溺愛ぶりだったようです。しかし、自殺前には宇多田ヒカルさんと絶縁状態にあったという報道もあります。自分の浪費癖が原因であるとはいえ、最愛の娘とも会うことができず、もともと内向的な性格だったこともあり、晩年はほとんど誰とも連絡はとっていなかったようです。心に開いた大きな穴は徐々に大きくなっていったのかもしれません。point 301 | 1

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藤圭子さんの死後、宇多田ヒカルさんは新曲として母に捧げる曲を作っています。その歌詞を読めば宇多田ヒカルさんがどれだけ母親を想っていたことが分かります。