サッカーの日本代表である長友選手が発言したことで話題になったのが「アモーレ」です。この「アモーレ」はイタリア語で「愛する人」、「大事な人」などという意味です。長友選手はイタリアのプロサッカーリーグであるセリエAでプレイしているので、イタリア語は得意です。なので、長友選手は平愛梨さんとの交際に関する記者会見で「アモーレ」という言葉を使ったのだと思います。大事な「アモーレ」と見事ゴールインした長友選手ですが、どのような選手か分かっていない人が多く、「アモーレ」という言葉ばかりが目立っています。
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なので、今回は長友選手のプロサッカー選手としての歩みを紹介していきたいと思います。長友選手がサッカーを始めたのは小学校の時です。持ち前の明るい性格でムードメーカー的な存在でしたが、サッカー選手としてはそこまで凄い選手ではなく、全国に名を連ねるような成績を残すことはできませんでした。中学校、高校時代もサッカー選手としての目立った活躍は無く、スポーツ推薦ではなく、一般入試で明治大学に入学します。明治大学ではサッカー部に所属しますが、期待されていた選手ではなく、応援団としての活躍の方が目立っていました。後に語られた話ですが、元気が良く、ムードメーカー的な存在だった長友選手を鹿島アントラーズの応援団がスカウトをしたという逸話が残されています。それだけ長友選手の応援は人の心を動かすものだったのです。
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サッカー以外の面で注目を浴びていた長友選手でしたが、大学3年の時に転機が訪れます。当時の監督は長友選手の足の速さ、運動量を評価して、左サイドバックというポジションにコンバートします。左サイドバックというポジションは、ピッチを上下運動する運動量が求められるポジションで、スピードと守備と攻撃で一対一の強さも求められます。近代サッカーでは重要性が高まっているポジションで、サイドだけでプレーするのではなく、中に切れ込んでいってシュートやラストパスをしたり、試合をコントロールする役割も担っています。
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長友選手は元々体力がありましたが、監督が走りこみを徹底した結果、日本でもトップクラスのスタミナを身につけます。元々足が速い選手だった長友選手に、豊富なスタミナが備わったことで、長友選手は明治大学サッカー部のレギュラーを掴み取ります。左サイドバックでレギュラーとして試合に出るようになった長友選手は、試合の中で活躍をして評価を上げていきます。
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そして、当時のU23の監督の目にとまり、大学生ながらオリンピックに出場します。その後はFC東京の強化指定選手になり、Jリーグの試合にも出場するようになります。左サイドバックというポジションは、手薄なチームが多く、長友選手はFC東京でもすぐにレギュラーを獲得します。そして、Jリーグでも通用することを証明します。そして、長友選手が大きく評価を上げる試合が訪れます。それが東京ヴェルディとの試合です。当時の東京ヴェルディには、後にブラジル代表になる期待の若手の筆頭であるフッキがいました。長友選手はこのフッキとマッチアップします。フッキは強靭なフィジカルとスピードを活かしたドリブル突破と、どこからでもゴールを狙える強烈なシュートが武器の選手でした。
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しかし、長友選手はこのフッキを完全に封じて見せます。この活躍を見たサッカー日本代表監督は長友選手をA代表に招集します。長友選手はA代表でもレギュラーを獲得し、南アフリカワールドカップに出場します。大会前は予選敗退の予想が多い中、見事に予選を突破してベスト16に食い込みます。南アフリカワールドカップで活躍した長友選手は、イタリアのセリエAへと闘いの舞台を移していきます。 com @nikkansports