小塚崇彦さんといえば、日本を代表するフィギュアスケート選手で世界でも数々の成績をおさめてきています。小塚崇彦さんの魅力は何といってもそのたぐいまれなスケーティング技術です。無駄のないスケーティングと深いエッジを使ったステップ、この技術は世界でも十分に戦っていけるレベルだったといわれています。
そんな小塚崇彦さんですが、一部のファンからは「日本フィギュアスケート界のサラブレット」と呼ばれていました。果たしてどうしてそんな呼び名が付いたのか、今一度小塚さんの家庭についてチェックしていきましょう。
小塚崇彦さんの両親、家族について
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小塚崇彦さんの両親は実は元フィギュアスケート選手で、この事実はファンの間では広く知られていることでした。
5歳のころにスケートの魅力にひかれフィギュアスケート競技の道に入ります。
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はじめのころは両親の指導の下スケーティング技術を磨いてしましたが、小学校のころには佐藤信夫コーチの指導を受けるようになります。
その後はめきめきと頭角をあらわし、2006年にはジュニアグランプリシリーズで優勝をはたしています。
この成績は日本人男性で3人目の快挙で、当時はマスコミもこのことを大きく報道しました。
その後も数々の世界大会、オリンピックに出場して成績を収めている小塚崇彦さん、両親が元フィギュアスケート選手という事であれば、納得の成績、技術かもしれません。
もちろん、本人が一番努力して得た成果なのでしょうが、これだけ環境に恵まれた人であれば「日本フィギュアスケート界のサラブレット」と言われても仕方がないと思いますね。
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小塚崇彦さんの家族について、両親ばかりが注目されていますが、実は祖父の経歴にも驚かされるものがあります。
というのも、小塚崇彦さんの祖父は旧満州の元フィギュアスケートチャンピオンだったというのです。
しかも祖母にあたる女性も元フィギュアスケート選手ということで、小塚選手はまさにフィギュアスケートをするために生まれてく来たような存在だったというわけですね。
小塚崇彦さんの祖父はどんな人だったのか?
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小塚崇彦さんの祖父に当たる人物、小塚光彦さんは先にも挙げたように旧満州でフィギュアスケートチャンピオンになった人です。
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学業を終えてから満州に渡り、そこで本格的なフィギュアスケート競技を始めることになります。
競技を始めるのは今の時代と比較すると遅かったようですね。
その後、満州で数々の成績を残していきますが、当時は戦争のため、オリンピックが開催されずに悔しい思いをされています。
このオリンピックへの思いはその後、息子や孫に伝わっていくことになります。
そしてその後、小塚光彦さんは愛知県に移り住み、フィギュアスケート普及のために尽力していきます。
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その影響力は非常に大きく、愛知県フィギュアスケート連盟を創立して、愛知県で初めてのスケートリンクを設立するまでに至ります。
写真:MURMUR 別館
教え子には浅田真央選手のコーチとしても有名な山田満知子さんもいて、本当にすごい人だったのだという事がわかります。
それだけフィギュアスケート界で有名だった小塚一家、小塚崇彦選手も当時は相当なプレッシャーがあったのではないでしょうか?
そんな中、数々の成績を収めてきた小塚選手には賞賛の声があがっています。
確かに素晴らしい家系ではありますが、世間の目やフィギュアスケート関係者からの視線がある中、
2016年の現役引退まで前線で世界と戦い続けた小塚選手には驚かされるばかりです。
まとめ
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小塚崇彦選手といえば、フィギュアスケート選手として数々の成績を収めてきたことでも有名です。そんな小塚崇彦さんは「日本フィギュアスケート界のサラブレット」とも呼ばれ、その家系にも注目が集まっています。両親はもちろんですが、祖父や祖母も元フィギュアスケート選手、しかも祖父に至っては旧満州のスケートチャンピョンという肩書までもっています。
幼いころから選手としての環境には恵まれていたのでしょうが、やはりその分のプレッシャーはすさまじいものだったのではないでしょうか?