松井大輔は2010年ワールドカップでも活躍した日本を代表するサッカー選手です。海外でも活躍し、ファンタジーあふれるプレーが魅力的でした。そんな彼は2017年途中で所属チームのジュビロ磐田から、意外なチームへと移籍しています。いったい彼はどこで何をしているのでしょうか、経歴とともに迫っていきます。
前進あるのみ!36歳での海外挑戦
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2017年途中、松井大輔はポーランド2部リーグのオードラ・オポーレというチームに電撃移籍をしています。シーズン前には日本を代表する中村俊輔がジュビロに加入し、2人のファンタジスタの共演に期待がかけられていました。しかし、期待とは裏腹に出場機会には恵まれず、わずか7試合にとどまってしまったのです。この決断について彼は「前進あるのみ」とコメントしています。
松井はかつてフランスでチームを引っ張り、2部から1部へ昇格させたという実績があります。2004年にフランス2部のル・マンUCに移籍するとサポーターから「ル・マンの太陽」と呼ばれるようになりチームに不可欠な選手となっていったのです。在籍した2008年までの間、相手を翻弄し続けてサポーターを魅了した彼なら国が変わっても再び華麗なプレーと奇跡を魅せてくれることでしょう。
谷間の世代と呼ばれた世代での活躍
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2002年に開催された日韓ワールドカップに日本中が一喜一憂していた頃、彼はアテネオリンピックを目指す代表で10番を背負っていました。テクニックで相手を翻弄するドリブルやパスを武器に中心選手として活躍しました。
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その一方で、彼らの世代への期待は大きいものではなく「谷間の世代」と揶揄されていました。上の世代には小野伸二、稲本潤一、高原直泰などそうそうたるメンバーがいたのです。1999年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)で準優勝という史上初の快挙を平然と成し遂げてしまったのです。シドニーオリンピックでもベスト8だった世代と比較されるのは酷という他ありません。しかし、それらを跳ね除けてオリンピック出場を成し遂げ、6年後この世代が中心となって南アフリカで歓喜をもたらしてくれるのでした。
実はバツイチ!?奥さんは加藤ローサだった
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フランスの他チームやロシア、ブルガリア、ポーランドを転々とし2014年に日本に帰ってきました。海外で10年に渡って生活していた彼ですが、ずっと一人で戦っていたのでしょうか。いいえ、そもそも初めての海外移籍の時点ですでに一人ではなかったようです。
2002年に客室乗務員の方と結婚し、フランスでも一緒に生活していました。しかし、2009年に離婚し、2011年に4歳年下のモデルである加藤ローサとの再婚・妊娠を発表しています。2011年から交際をしているということなので、離婚の原因は彼女とのゲス不倫ではなさそうですね。ポーランドでは、スタンドにいる彼女が美しいと話題になったこともあり、奥さんも違った意味でサッカー界を彩っているようです。
サッカー選手としての生き方を体現
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松井は出られなくなったから移籍をしたのではなく、居場所があって幸せすぎるのが嫌だと中村俊輔に語っています。純粋な気持ちを持ち続けながら思い切った決断をした彼は、これからもプレーだけではなく生き様も含めて我々を魅了してくれることでしょう。