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伝説の落語家「立川談志」が世の中に残した名言が素敵


2011年11月21日に、「伝説の落語家」と呼ばれた立川談志さんが75歳で亡くなりました。立川さんは落語家の中でも特に破天荒な人生を送られたことで有名で、国会議員に当選して政務次官に抜擢されたこともありました。立川談志さんは75年にも及ぶ生涯を通じて、多くの名言を残されました。立川談志さんについての簡単なプロフィールと、奥深い「名言」をいくつかご紹介いたします。


写真:rickey.hatenablog.com

 

立川談志について


写真:映画にわか

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立川談志(本名:松岡克由)さん1936年(昭和11年)1月2日に東京で生まれました。戦前に生まれ、子供の頃に終戦を迎えたことになります。1952年に16歳で5代目柳家小さんに入門し、1963年4月、立川談志を襲名して真打に昇進しました。1966年には有名な長寿番組である「笑点」を立ち上げて初代司会者となりました。落語家の傍らで政治家としても活動を開始され、1971年には国会議員に初当選しました。1975年には沖縄開発政務次官に就任しましたが、二日酔いで記者会見に臨んだり、寄席を理由に参議院決算委員会を欠席するなどして、たった36日で政務次官を辞任しました。1983年には真打昇進試験をめぐり落語協会と意見が対立して協会を脱退し、「立川流」を立ち上げて「家元」を名乗るようになりました。
立川談志さんはご自身の人生経験から、多くの名言を残しておられます。いくつかの名言(迷言?)をご紹介します。point 398 | 1

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写真:エンタステージ

名言:

・「子供の面倒を親分が見るのは当然」(政務次官に就任した時に議員の選挙資金に関する発言)
当時、この発言が大問題になりました。

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・「酒に決まってんだろ」(政治家時代に二日酔いで記者会見に臨んだ際に記者から「あなたは公務と酒とどちらが大切なんだ」の質問に対する返答)

 


写真:Smart FLASH

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立川談志さんは、教育に関する名言も数多く残しておられます。

・「修業とは矛盾に耐えることだ」(入門前に全員の弟子に語った言葉)
これは落語家の修業だけではなく、学校や職場などにも当てはまるかもしれません。ちなみに、「師弟とは価値観の共有である」とも語っておられます。

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・「よく『芸を盗む』とかいうが、あれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要だ。時間がかかるんだ。教える方に論理力がないから、そういういいかげんなことを言うんだ。」
教える側が無能なのに、教えられる立場の側に問題があるかのように責任転嫁していることを批判しています。

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・「小言というのは、己の『不快感の瞬間的発散』であって、『教育』とは違う」
どこの世界にも、“教育”と称して部下や教え子に対してストレスを発散する人がいます。

 


写真:memory-jp.com

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人間の本質についても考えさせられる奥深い発言をされています。

・「イイ奴とは自分に都合のいい奴である」
偽善的な人間ほど、“良い人”を装っていると感じることがあります。

・「己に自信の無い奴が常識に従う。不安を持つから動き出す。」
・「馬鹿とは状況判断のできない奴のことをいう」
自分で考えることをやめてしまったこと人のことを批判した言葉です。

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・「人間は自分を安心させるためにいろんなところに帰属するし、他人を見る時どこかに帰属させることで安心します」
・(未来とは)「修正できると思っている過去!」
・(学問とは)「貧乏人の暇つぶし!」
・(努力とは)「バカに与えた夢!」

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写真:平蔵の独り言

2008年に咽頭癌を発病してから、病気や死に関する発言が増えました。
・「煙草をやめるなんてのは、意志の弱い奴がすることです」
・「死とは個の消えることへの恐怖」

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立川談志さんの名言は、考えさせられる奥深いものがたくさんあります。