X
    Categories: CELEB

毒舌キャラなのに!有吉のツイッターから垣間見える「人の良さ」


今は毒舌キャラが世間に受け入れられて、数多くの毒舌キャラ芸能人が活躍していますが、毒舌キャラを確立したのは有吉です。


写真:.asagei.com

 

有吉の芸人人生

有吉の芸人人生は大阪でスタートします。元々は巨人師匠に弟子入りをしていました。しかし、真剣な姿勢が見られず、巨人師匠に破門を言い渡されます。そして、一度は芸人の道を諦めそうになりますが、猿岩石というコンビを結成して、再びお笑いの世界に挑戦します。point 200 |

ADVERTISEMENT

point 0 |
写真:http://susumu2009.point 71 | xsrv.point 76 | jppoint 78 | 1

そして、猿岩石を結成してすぐにチャンスが訪れます。それが日本テレビ系列で放送していた人気番組、電波少年です。電波少年は体を張った危険な企画や、一見すると無茶な企画が受けていた人気番組でした。猿岩石はこの電波少年でユーラシア大陸横断というあまりに無謀で、危険な企画をスタートさせます。この長期間の企画で、猿岩石は数々の経験をします。

ADVERTISEMENT


写真:http://www.ntv.co.jp

インドでは寺の修行僧と住宅を周って食料をもらい、野宿は当たり前の日々を送っていました。顔はやせ細り、髭も伸びて別人のような姿になっていました。ユーラシア大陸横断の旅を終えて、日本に戻ってくると、スターを出迎えるような雰囲気になっていました。

ADVERTISEMENT

 

一気にスターになった猿岩石


写真:youtube.com

人気番組であった電波少年の影響で、猿岩石は一気にスターダムにのし上がります。一気にスターになった猿岩石を待っていたのは、アイドルのような扱いで、お笑い芸人の姿はそこにはありませんでした。次々にヒット曲を歌い、「白い雲のように」はミリオンを超える大ヒットを記録しました。

ADVERTISEMENT


写真:http://natalie.mu

しかし、そんな良い時代は長続きしません。次第にテレビの露出は減り、仕事は無くなっていきます。この時期は貯金を切り崩したり、先輩の上島竜平に助けてもらったりしていました。さらに仕事がまったくない時期に、内村プロデュースという番組でワンポイント起用してもらうことにより、内村さんは面白いと言ってくれていることを知っていた有吉は、仕事は無くても希望は捨てないでいました。

ADVERTISEMENT

 

毒舌キャラ

希望を捨てずにテレビをかじりつくように見ていた有吉は、ある一発逆転のキャラを思いつきます。それが有名人にあだ名をつけるキャラと、毒舌キャラです。


写真:hochi.co.jp

ADVERTISEMENT

この二つのキャラを物怖じせずに発揮していくことで、次第に芸人としての人気を得ていきます。さらにIPPONグランプリでは優勝するほどのお笑いセンスを見せ付けます。これにより、毒舌だけじゃないことを証明しました。元々常識人で、知識が豊富な有吉のツイッターのフォロワーは、現在400万人を超えています。

ADVERTISEMENT